この「ひきこもりからのダイエット」、とてもよい選択だったと思います。ひきこもりが終わった日に進学や就職など、一足飛びに目標を上げると無理がたたります。地に足の着いた選択は次のステップにつながりやすい「成功体験」になりました。その後、瀧本さんは現在、ライターとして、ひきこもり経験を語る講師としても活躍されています。

 また、瀧本さんが部屋から出てくる「前」にも大事なポイントがありました。瀧本さんがなぜひきこもりを始めたのかからポイントを説明したいと思います。

 瀧本さんがひきこもり始めたのは祖母との同居がきっかけでした。同居は東京の予備校に通うために始めたものです。しかし、その祖母は「生きていてもしかたがない」「人生なんてつまらない」というグチを日常的に言い続ける人でした。

 こうした環境ですごすことは心理的に虐待を受けている状態と近いです。グチを聞かされ続けた人は、知らないうちに生きる気力を失っていきます。瀧本さんもネガティブな感情にさらされて疲弊し、感情のコントロールも効かなくなり、ついにはグチを言い続ける祖母に殺意を抱くようになりました。

 「このままでは祖母を殺しかねない。無意識にそう思ったのがひきこもるきっかけだったと思います」(瀧本さん)

 こうして始まったひきこもり生活ですが、多くの時間は、ひきこもったことへの罪悪感や焦燥感と闘う日々でした。ひきこもり生活が終わったのは、祖母との暮らしが自分の心に決定的なダメージを与えたと理解したこと。自分と相手を守るために始めたひきこもりであり、その選択を自分で肯定できたこと。これが瀧本さんのひきこもりが終わった理由になりました。

 自分のひきこもりを肯定することでひきこもりが終わる。矛盾していると思うかもしれませんが、ひきこもりを肯定するとは「自分を受けいれる」と同義です。自分を受けいれることで考え方が自由になり、ひきこもり状態からも抜けることができます。瀧本さんがひきこもりから抜けたポイントは、自分を受けいれたことであり、それは部屋を出る/出ないという眼に見える変化よりもよっぽど大きな変化なんです。

 いかがだったでしょうか、「裸のピアニスト」こと瀧本さんの半生。「ひきこもり」の人間味を感じたのではないでしょうか。ひきこもりはまだまだ偏見が多いです。できたら、これからも、いろんな当事者の話をご紹介していきたいと思います。(文/石井志昂)

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石井志昂

石井志昂

石井志昂(いしい・しこう)/1982年、東京都町田市出身。中学校受験を機に学校生活があわなくなり、教員や校則、いじめなどを理由に中学2年生から不登校。同年、フリースクール「東京シューレ」へ入会。19歳からNPO法人全国不登校新聞社が発行する『不登校新聞』のスタッフとなり、2006年から編集長。これまで、不登校の子どもや若者、識者など400人以上に取材してきた

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