ダイエー時代の川崎宗則(左)とロッテ時代の西岡剛(右) (c)朝日新聞社
ダイエー時代の川崎宗則(左)とロッテ時代の西岡剛(右) (c)朝日新聞社

 川崎宗則と西岡剛。

 ルートインBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスでプレーする2人は大きな注目を集めている。

「野球が大好きだから」と口を揃えるが、立ち位置は全く異なる。

「06年のWBC大会を思い出しました。彼が21歳、僕が23歳。あれから15年経ったんだなと思った。15歳若返りました。集中して、声をかけあって、精いっぱいやりました」(川崎)

「一緒の空間にいるということ。人間は結局メンタルであったり、マインドであったり、川崎さんはモチベーションを引き出す天才」(西岡)

 10月4日、本拠地での神奈川フューチャードリームス戦、川崎と西岡が二遊間コンビでスタメン出場した。「1番・遊撃・川崎」、「2番・二塁・西岡」は予告スタメンで発表されており、1911人というシーズン最多の観衆が集まった。

「WBCで世界一になった時以来、同じユニフォームに袖を通す。日の丸を背負い、国際試合で戦った仲間にしかわからない思いがある。懐かしさや嬉しさなど、多くの感情が湧き出すのは当然。またお互いにNPBの表舞台からは一歩、引いた立場にいる。野球選手としてまだまだプレーしたい。ボールを追いかけたいという純粋な気持ちは同じなのでしょう。2人ともNPB時代からチームの中心選手だった。日本の独立リーグの現実を知って想像以上に戸惑っているはず。選手レベルや待遇面など、米国時代に経験したこともあるマイナーリーグとは比べ物にならない。それでも1人ではなくお互い切磋琢磨できる相手がいるから、今はやる気に満ち溢れているのではないか」(WBC時の侍ジャパン関係者)

 西岡はロッテ時代『スピードスター』と呼ばれた。走攻守3拍子揃ったプレーで2005年にレギュラーを獲得してからはチームの核として活躍。決して強豪ではなかったロッテを日本一に導きメジャーへ挑戦した。

 しかし移籍先のミネソタ・ツインズではケガの影響もあり結果を出せず、自ら契約解除を申し入れ2年で帰国。13年に阪神に加入した。6年間在籍した阪神ではベテランとしてチームのスパイスとなり、移籍2年目の14年には日本シリーズ進出を果たした。しかしケガやチームの若返りとともに出番が減り戦力外となったが、NPB復帰を目指し栃木入団を決意した。

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NPBでは同じ時代にチームの主力だった2人