ところが、プロレス転向の話は場所が終わるまで内密だったのに、場所中に当時佐渡ケ嶽部屋の関脇だった長谷川関に「おい天龍、間違った考えを起こすなよ」と言われたんだ。「え? なんで知っているの?」と愕然としたね。二所ノ関部屋の新親方になった金剛が「秋場所で天龍が辞めてプロレスに行く」と周囲に話していて、サンケイスポーツにもリークしていたからスクープされた。もう「天龍が辞める」という雰囲気でね、勝ち越しても負け越しても、どっちにしても詰め腹切らされて辞めることになっていただろう。仕方がないから相撲協会に廃業届を出したんだ。

 いろいろなところから雪隠詰めのように追い詰められた感じだよ。プロレスに転向してからも相撲取りからプロレスに行きたいと相談されることが多かったが、俺は「絶対に最後の場所は勝ち越して来い」と言って、安易にプロレスに来るのを止めていた。当時、簡単な気持ちで相撲からプロレスに転向した奴は、ほとんどが下手をうっているからね……。

 さて、辛気臭い話になってしまったから芸術の秋の話でもしようか(笑)。とはいえ、相撲取りとプロレスラーにとって芸術は縁遠い。俺がアートな場所に行った記憶は、アメリカに行ったときに、同行の人に「ここが映画『ロッキー』で、ロッキーが階段を駆け上ってジャンプした場所だよ」と教えられて写真を撮ったところが、たしかフィラデルフィア美術館だったような……。中には入ってないよ(笑)。あとは、箱根の彫刻の森美術館へ家族で行ったことがあるくらいか。まあ、俺は二日酔いで車の中で寝ていたけど……。

 俺は絵心がないけど、馬場さんは油絵を描いていたよね。「天龍、俺が描いた絵をやるから、お前も絵の勉強をしろ」と言われていたんだけど、結局、絵をもらう前に馬場さんがあっちに行っちゃったから絵の勉強はできないままだね。そろそろあっちから絵を持って迎えに来るんじゃないかと思ってドキドキしているよ(笑)。

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