幕末の浮世絵「諸神の加護によりて良薬悪病を退治す」。武士の姿をしたセメン、ホフマンなどの輸入薬が、腹痛や疱瘡などの病気を退治しており、雲の上の神々がこれを応援しています(都立中央図書館特別文庫室所蔵)
幕末の浮世絵「諸神の加護によりて良薬悪病を退治す」。武士の姿をしたセメン、ホフマンなどの輸入薬が、腹痛や疱瘡などの病気を退治しており、雲の上の神々がこれを応援しています(都立中央図書館特別文庫室所蔵)
疱瘡よけの疱瘡絵「鎮西八郎為朝 疱瘡神」。黄色い着物を着た老人と赤の着物を着た子どもが疱瘡神で、源為朝にひれ伏しています(都立中央図書館特別文庫室所蔵)
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疱瘡よけの疱瘡絵「鎮西八郎為朝 疱瘡神」。黄色い着物を着た老人と赤の着物を着た子どもが疱瘡神で、源為朝にひれ伏しています(都立中央図書館特別文庫室所蔵)
麻疹を麻疹神として擬人化し、これを退治するさまを描いた麻疹絵の「痲疹退治」。中央の薬袋は、麻疹の流行で儲かった医者や薬屋を表し、麻疹神を守ろうとしています。イラストに添え、麻疹にかかった際に摂取すべき食べ物などが記載されています(都立中央図書館特別文庫室所蔵)
麻疹を麻疹神として擬人化し、これを退治するさまを描いた麻疹絵の「痲疹退治」。中央の薬袋は、麻疹の流行で儲かった医者や薬屋を表し、麻疹神を守ろうとしています。イラストに添え、麻疹にかかった際に摂取すべき食べ物などが記載されています(都立中央図書館特別文庫室所蔵)
1886(明治19)年に描かれた錦絵『虎列刺退治』。頭部を虎、胴体を狼、睾丸(こうがん)を狸にして、コレラに見立てた怪獣を描いています(都立中央図書館特別文庫室所蔵)
1886(明治19)年に描かれた錦絵『虎列刺退治』。頭部を虎、胴体を狼、睾丸(こうがん)を狸にして、コレラに見立てた怪獣を描いています(都立中央図書館特別文庫室所蔵)

 新型コロナウイルスが蔓延する昨今ですが、江戸時代にも恐ろしい感染症がたびたび大流行しています。当時の人々はどのように恐怖と闘ったのか、読み方だけでなく、いにしえの知恵に触れながら感染症との付き合い方を考えてみましょう。

【イラスト】「麻疹退治」はこちら

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■人生の“お役三病”として感染症を通過儀礼に

 古くは、感染症の中でも特に伝播力の強いものは疫病(えきびょう)とよばれ、人々に恐れられてきました。

 病気の原因が目に見えなかったため、神の仕業(しわざ)に例え、その怒りを鎮めるために祈祷や祭礼などが行われました。

 江戸時代には、天然痘、はしか、水疱瘡(みずぼうそう)は、一生に一度かかるお役目のようなものとして、人生の「お役三病」と称されました。当時の人々には、病原菌やウイルスの知識はありませんでしたが、これらに一度罹患(りかん)すると二度とかからないことを経験的に理解していたのです。

 そのためお役三病を一種の通過儀礼と見なし、三つの病気を無事に終えることが、健康面での最大の願いとされました。

 当時の人々は、こうして未知なる感染症とうまく付き合っていたのです。

 ここでは天然痘やはしか、そしてコレラに触れていきます。

疱瘡(ほうそう)

 天然痘ウイルスによる感染症で、現在は天然痘の名で知られます。感染力が強く、激しい頭痛と高熱の後、顔や手足などに赤い発疹ができます。

 子どもや妊婦が重症化すると死亡することが多く、一命を取り留めても顔や体にひどい痘跡(あばた)が残ることがあり、「疱瘡は見目定め」といわれました。

 日本では奈良時代から大小の流行が繰り返されましたが、1956(昭和31)年を最後に患者が発生していません。

 現在は地球上から撲滅され、過去の病気となりました。

 江戸時代には疫病神の一種として擬人化され、疱瘡神と呼ばれました。

 大流行が発生するたび、症状が軽く済むようにお守りを貼ったり、疱瘡神が赤を苦手にしたという伝承にちなんで赤い物を身の回りに置いたりして、疱瘡神の退散を人々は祈願したのです。

 幕末には、天然痘のワクチン療法である「種痘法」が日本に伝わり、全国各地に種痘所ができ、予防接種が普及しました。

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江戸時代に13回もの流行があった「麻疹」