第三軌条方式の地下鉄で初めて屋根上に冷房機を設けたOsaka Metro御堂筋線10系(写真/岸田法眼)
第三軌条方式の地下鉄で初めて屋根上に冷房機を設けたOsaka Metro御堂筋線10系(写真/岸田法眼)
日本初の旅客情報案内装置といえる、大阪市営地下鉄100形。文字を後ろから電球で照らした(写真/岸田法眼)
日本初の旅客情報案内装置といえる、大阪市営地下鉄100形。文字を後ろから電球で照らした(写真/岸田法眼)
線路に垂直に設けられた松井山手駅ホームのベンチ。関東でも増えている(写真/岸田法眼)
線路に垂直に設けられた松井山手駅ホームのベンチ。関東でも増えている(写真/岸田法眼)

 世の中、東京から発出し、全国的に普及、追随することが多いが、なかには関西で普及し、関東が追随したものがある。先進的な試みからマナーまで、鉄道の分野で関西から始まり、全国的に広がったものは意外と多い。

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■「次は……」次駅案内は戦前の大阪市営地下鉄が発祥

 車内で次の停車駅などを案内する旅客情報案内装置は、21世紀の鉄道車両では“標準装備”と化している。

 日本で初めてお目見えしたのは、1933年5月20日の大阪市交通局(当時、電気局)の大阪市営地下鉄(現・Osaka Metro)御堂筋線開業時に導入された100形だ。乗務員室側の貫通路上部に設けられ、モーターで動く照明が次の停車駅を照らしていた。このタイプは後継の200形、300形にも踏襲された。しかし、2両以上連結されると不具合の発生が多く、1941年で使用停止された。

 関東では1971年に東京都交通局が都営新宿線用の10-000形試作車にて採用。当時、都営新宿線が建設工事中のため、まず都営三田線に配属されて試運転が行われた。旅客情報案内装置は、車内の乗降用ドア上に同線の駅名(当時、日比谷~高島平)や将来の延伸等に備え、西方向に空欄17駅分を並べた。列車の停車駅を豆電球で点灯し、停車するごとに1駅分消灯する仕組みだった。しかし、10-000形試作車は都営三田線で営業運転に就くことはなく、都営新宿線開業前に撤去されて実用化されなかった。

 その後、1983年に営団地下鉄(現・東京メトロ)が満を持して銀座線用の01系に採用。発車すると、LEDランプにより次の停車駅が点灯し、走行中は矢印で点滅するものとした。マイコン操作により、正確に表示され、旅客情報案内装置が全国的に普及するきっかけにもなった。

■地下鉄駅の冷房も大阪市営地下鉄から

 1927年12月30日に我が国初の地下鉄が東京地下鉄道(現・東京メトロ銀座線)上野~浅草で開業し、「夏は涼しく、冬は暖かい」と評判を呼んだ。しかし、営団地下鉄丸ノ内線、日比谷線が開業すると、列車の増発などにより車両の排熱が地下に充満、さらに地下水の枯渇も影響し、年中暑い状況となってしまった。

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梅田駅が世界初の駅冷房を導入