なお、2007年の政府答弁書にいう「同日」とは、1993年8月4日をさす。慰安婦問題について軍の関与と強制を認め、当時の河野洋平官房長官が「おわびと反省」を表明した「河野談話」が発表された日だ。つまり河野談話までに政府が見つけた資料には、強制連行の記述が見当たらなかった――ということになる。

 ただし河野談話を発表した河野氏自身は、2015年6月9日の記者会見で「インドネシアのオランダ人女性(慰安婦)のケースでは、軍が行って強制的に連れ出して、慰安婦として働かせたということは、オランダの調査で明らかだ。強制連行もあったと言っていいと思う」と答えている。第2次世界大戦後、オランダによる戦犯裁判で日本軍将校らが死刑や禁錮刑を宣告された「スマラン事件」などのことだ。

 では河野談話以降に発見された資料はどうか。慰安婦問題に取り組む市民団体は「強制連行を示す記述はある」と指摘する。

 政府は河野談話発表までに慰安婦問題の資料を236件集め、93年以降も81件を収集した。新たに収集された文書の内容を国立公文書館で調べた団体「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」が「政府の調査に必要だ」と指摘。公文書館は17年2月3日、文書19件182点を内閣官房に提出した。

 提出されたのは戦後に法務省が収集した戦犯裁判関係資料。現在のインドネシアで戦後にオランダが日本兵らを裁いたバタビア裁判の判決文には、「婦女子を慰安所に入れて売淫を強制」と記されている。法務省の調査報告書には、日本海軍特別警察隊の元隊長が戦後の聞きとり調査に対して「二百人位の婦女を慰安婦として部隊の命により、バリ島に連れ込んだ」と証言したとの記述がある。

 これらの公文書を踏まえ、同団体は「強制連行を示す記述が随所にある」と主張する。しかし内閣官房は「全体として見ると強制連行を直接示すような記述は見当たらない」として、従来の認識を変えていない。

 だれの視点で見るかによって、言葉の意味も見える景色もまったく変わってしまう。議論は錯綜し輻輳していくばかりだった。

 記者としてできることは、一致点が見いだせず応酬が続いた議論を、できるだけそれぞれの語ったまま、書いたままの表現で記録し、一覧に供することだと考えた。ひたすら裁判上の論争や、集会での発言をメモした6年にわたる記録を『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』(朝日選書)としてまとめ、8月に出版した。議論の複雑さを、550ページにわたる記録から実感してほしい。(朝日新聞編集委員・北野隆一)