逆に馬場さんは、俺が全日本プロレスを出るときに「俺が全日本を辞めるって言ったことは忘れないでしょう?」って聞いたら「俺は絶対に忘れない」ってきっぱり言ったからね。どっちがいい悪いじゃなくて、2人はそれだけ性格が違うっていうことだ。今年2月にプロレス殿堂会を立ち上げて、そのイベントでも猪木さん、藤波辰爾、長州力と出席したけど、もし生きていたら馬場さんも出席していたと思うよ。

 それから前田日明との対談も印象的だったね。彼は格闘技がやりたかったというよりも、プロレスが世間からとやかく言われているのが嫌で、そんなことを言わせないことをやろうとしていたんだと思うよ。それで確立したのが新格闘技と呼ばれたUWFだ。決してプロレスが嫌だったんじゃなくて、プロレス界にあった“緩さ”みたいなのが嫌だったんじゃないかな。その後もリングスやTHE OUTSIDERを立ち上げたりと、話題を提供してくれているね。俺は前田とは対戦したことがないから、彼からはずいぶん過大評価されているようだよ(笑)。

 なにより驚いたのが、今の体重が130キログラムあって彼の人生の中でも今が最高に重いってことだ。さすがに俺も「デカいな!」と思ったよ(笑)。こういう職業をやってると引退しても逆三角形でいたい、筋骨隆々でいたいと思いがちだけど、前田は「このままでいいんですよ」と言って、自分を卑下するわけでも何かにこびるわけでもなく、自分に自信持っていると感じたね。
 
 高田延彦とのトークバトルも楽しかった! 小脳梗塞を患ったと発表した直後の昨年の9月22日だったもんで、彼から「天龍さん、元気出して150歳くらいまで生きてください!」って言われたよ。他団体のエースだった高田からそう言われのが嬉しかったね。彼は引退後にPRIDEやハッスルをやっていたけど、他のプロレス団体にこうして協力したのは初めてだと言っていた。だから俺のトークバトルを受けてくれたことも嬉しかったね。彼もUWFインターナショナルを作って、看板選手としてやっていたというプライドやこだわりもあるだろう。なによりファンを裏切っちゃいけない、がっかりさせちゃいけないって思いが強いから下手なことはできないと思っているんじゃないか。特に彼のファンは熱いからね!

 俺のファンもなかなかいい年齢になってきてるだろう?(笑) 俺がそんなファンに伝えたいのが、自分自身に過信しないで、ちょっとでもからだがおかしいと思ったり、兆候があったりしたら病院で診てもらうことだね。俺の小脳梗塞のときは1回目は女房が、2回目は娘がおかしいと気づいて救急車を呼んでくれたからよかった。2回目のときに俺は「救急車なんかいいよ、カッコ悪い」って言っていたんだけど、周りの言うことはちゃんと聞くもんだよ……。

 年を取ると衰えるのは当然で、そんな姿をみんなに見せるのも俺たちの今の役目だと思っている。俺が猪木さんにずっと元気でいてほしいと思うように、ファンから「天龍、もっと元気になってくれ!」と思ってくれていたら嬉しいね。俺だって人前に杖をついて出るのは嫌だと思うこともあるけど、年を取って変わった自分を素直に受け入れて消化している俺もいる。

50代のときは30代のような見た目でいたいと思っていたけど、今となってはね、おネエちゃんにもモテなくなったし、いいかなって思うよ。(※ここで代表=娘の紋奈さんが発言)「別にまだ若いおネエちゃんと遊んでもいいんじゃない~」。うちの代表はこんなことを言ってるがどうしたもんだろうか(笑)。

(構成・高橋ダイスケ)

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天龍源一郎

天龍源一郎

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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