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先月、アメリカのノーベル文学賞を受けた作家の7割がアルコール依存症だというデータを紹介しました。好きで始めたことでも、続けることがどれほど苦しいかということを示していると思います。
さて、もちさん。
ですから、自分の書いたものが自分にはつまらなくて、面白いかどうかよく分からず、書くということは疲れや眠気、腰痛と戦いながら、一日何時間パソコンに向かえるかという、頭脳労働の前に肉体労働で体力勝負だということは、創作を目指す人達が共通して経験することです。
それでも、書き続けるか、それとも、あんまり苦しいからやめるか。
僕はもちさんの「創作に喜びをほぼ感じることができない」という文章の「ほぼ」にこだわってしまいます。
少しは喜びがあるけれど、自分が満足する水準では全然ないから、結果として嫌いになるということなら、つまり、プロリーグを想定して創作に苦しむのなら、意味のない苦しみだと思います。
いきなり、プロリーグに行く人はいないのです。
創作はなんだかセンスみたいに思われていますが、スポーツと同じく、まずは基礎体力や技術が必要です。そして、技術を習得するためには、これもスポーツと同じで時間がかかるのです。
文章表現は、書けば書くほど水準が上がり、書かなければあっという間に下がります。
世界的バレリーナの森下洋子さんの有名な言葉があるじゃないですか。
「1日怠けると自分に分かり、2日怠けるとパートナーに分かり、3日怠けると観客に分かる」
まあ、創作は1日はオーバーでしょうが、1週間で自分に分かり、3週間で読者が分かるほど、文章の水準は落ちると僕は思います。
でね、もちさん。
創作において、とても重要な技術のひとつは、「自分の作品をどれだけ客観的に見られるか」ということです。
書いてる最中や書いた直後は無理ですよ。執着した作品には愛憎半ばして、とても客観的には見られません。
最低でも数日間置いてから読み返すとか、誰か信頼できる人に感想を語ってもらうとか、とにかく作品とくっつきすぎた距離を離すことが必要です。
鴻上尚史のもっとほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋
鴻上 尚史


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