非国民とされた代表がハンセン病患者だ。1931年成立の「癩(らい)予防法」によりすべてのハンセン病患者は隔離の対象となり、違法な断種がおこなわれていた。日常生活の中ではハンセン病に感染しないということは、当時の医学でもわかっていた。しかし政府は感染力を誇大に宣伝した。「人的資源」になりえない病者は存在そのものが「非国民」だからだ。

「政府は患者が横を通るだけでも感染するというような恐怖感を人々に植えつけ、患者の家を密告するように奨励し、患者の隔離を進めました。『患者だけじゃなく患者の家族も感染しているはずだ』と疑われ、家族も社会から排除され、差別が広がっていきました。それもやはり、ハンセン病は国力に負の影響を与えるから取り締まるべき、という考えが背景にあったのです」

 ほかにも病気については国を挙げての対策がおこなわれていた。たとえば結核は一番大きな課題とされていて、今に至るまで日本で最大の感染症として知られている。一方、性感染症も大きな課題として認識されていた。

「徴兵検査で性感染症があることが判明すると不合格になるので、性感染症がはやっていると兵力が低下してしまう。また、男性が性感染症を妻にうつして赤ちゃんに胎内感染させると、子どもが健康体で生まれず、強い兵士にならない。それを軍部が問題視したのです」

 こうして厚生省からも「感染源」とみなされた女性たちは、厳しい検診を強制され、「健民」であることを証明しなければならなかった。「廃娼運動」に見られたこの流れは、日中戦争突入後に一気に加速し、県ごとに廃娼が進んでいった。ところが、それは単なる「売春反対」ではなかった。

「廃娼運動は愛国的な運動でもありました。売春はなくならないし、なくせないものなのだから、存在することは仕方ない。ただそれを公娼という形で公に許可するのは国辱であるという議論でした。だからあくまで制度への反対であり、厳密には『売春反対』ではなかったのです」

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では、コロナ差別はどうして?