そんな松井氏が、ファンの前で久しぶりにフリー打撃を披露したのが、15年2月7日。臨時コーチとして参加したDeNAの沖縄・宜野湾キャンプ中の出来事だった。松井氏を招いた中畑清監督が、ファンサービスでフリー打撃を要請したことから実現したもの。

 当初は「バットを振ったら、1スイングで体を痛める」と固辞した松井氏だったが、「明日ゴジが打ちますんで来てください」と予告までした中畑監督のゴリ押しに根負けする形で、ついに腹をくくった。相手投手は、巨人時代の後輩・高橋尚成である。

 DeNAの球団ジャンパーを身にまとい、打席に立った松井氏は、47球中28スイング。ファウルが多かったものの、ヒット性の当たり5本のうち、12スイング目の打球は、快音を発して右翼席に着弾。現役時代を彷彿とさせる豪快なアーチに、スタンドの4千人のファンから「オーッ!」という大歓声が起きた。

 久しぶりに“生きた球”を打った松井氏は「高橋の球が(ストライクが入らず)しょぼ過ぎて打ちづらかったけど、楽しかったです」と心地よさそう。マンツーマンで打撃指導を受けていた筒香嘉智も「軸が全然ぶれない。頭がほとんど動いていなかった。体を後ろに残して、距離を取って打っている」と“生きた教材”から多くを学んだ。この年、筒香は“松井効果”で、打率3割1分7厘、24本塁打、93打点を記録。“和製大砲”として開眼している。

 今度は番外編。引退して一度は野球をあきらめたのに、ひょんなことから現役復帰が実現し、ドラフト指名から14年後にプロ初勝利を挙げたのが、野中徹博氏(現出雲西高監督)だ。

 中京高(現中京大中京)時代の83年夏の甲子園準々決勝で池田高の水野雄仁(元巨人)と球史に残る投手戦を繰り広げた183センチの本格派右腕は、同年のドラフトで阪急に1位指名入団。エースナンバーの「18」を貰ったが、入団してすぐに2軍コーチからフォーム改造を命じられ、慣れないフォームで投げているうちに肩を壊してしまう。肩は手術しても一向に良くならず、チーム名がオリックスに変わった89年オフ、戦力外通告を受け、現役引退。1軍登板わずか7試合だった。

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一時はラーメン店での修行もあったが…