ヤクルト時代の野中徹博 (c)朝日新聞社
ヤクルト時代の野中徹博 (c)朝日新聞社

 現役引退から30年近くも経つのに、今も年齢を感じさせない速球を投げ続けているのが、ダイナミックなマサカリ投法で通算215勝を挙げた村田兆治氏だ。

【写真】「平成で最もカッコいいバッティングフォーム」はこの選手!

 ロッテ時代に1974年の日本一に貢献するなど、球界を代表するエースになった村田氏は、82年に右肘を痛め、選手生命の危機を迎えるが、フランク・ジョーブ博士の靭帯移植手術と3年近い苦闘の日々を経て、85年に“サンデー兆治”として見事復活。その後も89年5月13日の日本ハム戦で通算200勝を達成し、39歳で通算3度目の最優秀防御率のタイトルを獲得したが、翌90年、開幕戦完投勝利を含む10勝を挙げたにもかかわらず、現役を引退した。

 40歳とはいえ、完投にこだわらなければ、まだ先発が十分務まったはずなのに、「人生先発完投」を座右の銘にしていた“昭和生まれの明治男”は、「余力を残してマウンドを去るのが、エースの美学だ」と、未練なくユニホームを脱いだ。

 そして、引退後も、野球を教える全国の子供たちに“元プロ”の凄さを実感させようと、毎日1時間の筋力トレを続ける。05年3月27日の楽天vsロッテで始球式を務めた際には、55歳にして140キロを計時。この日1安打完封勝利を飾った渡辺俊介を「明らかに僕より速いんです」と脱帽させた。

 さらに66歳になった16年3月20日の楽天vsロッテでの始球式でも131キロをマーク。アメリカでも「(米ソの)冷戦時代に現役だった66歳の元選手が、未だこれほどの剛速球を投じることは称賛に値する」と大きな話題を呼んだ。

 打者では、日米通算507本塁打を記録した松井秀喜氏も、「まだやれた選手」の代表格だ。

 レイズを自由契約になった12年、日本球界復帰を望む声も多かったが、「10年前の日本での自分の活躍を想像するファンの期待に応える自信を持てなかった」と、自身の求める打撃ができなくなったことを理由に現役引退。40歳を過ぎても現役を続ける選手も少なくないなか、38歳での早過ぎる引退が惜しまれた。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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