そうそう、これもよく話しているけど、元横綱の北尾光司と飲んでいたとき、彼が飲みすぎて意識がもうろうとなって自分で救急車を呼んだことがあった。でも北尾は特にからだがデカいから救急車のドアから足がはみ出ちゃって、救急隊員さんも「これは大きいから乗らないなぁ」って言ったんだ。そうしたら、それまでウーってうなっていた北尾が「はい」ってからだを屈めて、「お前、ちゃんと意識あるんじゃねーか!」ってみんなで呆れたこともあったなぁ。

 ジャンボ鶴田は家庭を大事にするからあまり一緒に飲みに行かなかったし、豪快に飲んだりおごったって話はあまり聞いたことがない。でもね、今でも印象に残っていることがある。青森でのことなんだけど、試合が終わってジャンボたちと一緒に飲んでいると、同じ店で演歌歌手の川中美幸さんのマネージャーさんや関係者がコンサート終わりの打ち上げで飲んでいたんだ。そうしたらジャンボがその人たちにごちそうをしてね。「え? ジャンボもそんなことをするのか!」と驚いたよ。

 ジャンボは仲間内にはおごったり見栄を張ったりしないけど、対外的には“プロレスラー・ジャンボ鶴田”として振舞うんだね。そんなジャンボを見たのはそれが最初で最後だ。こういうことを言うとジャンボのファンから「また天龍が悪口を言っている」と怒られるけど、ファンの人に俺が知っているジャンボのいろいろな面を伝えたいからなんだよね。だから余計なことかも知れないけど大目に見てくれ(笑)。

 そもそもジャンボだけじゃなくて、馬場さんも含めてプロレスラーはほかのプロレスラーにおごったりしないもんなんだよ。アメリカではドリーとテリーの家に馬場さん夫妻、ジャンボと一緒に行ってごちそうするからって招待されたけど、そのときのディナーは、ビールとフライドチキンだけだったからね。俺らはまだいいけど、馬場さんの奥さんの元子さんはたまったもんじゃないよ。大男に囲まれて食べ物がフライドチキンしかないんだから。さすがに馬場さんもうんざりして「もう帰ろう!」って、さっさと切り上げて和食レストランに行ったんだよね。

 逆に気前がよかったのがリック・フレアーとハルク・ホーガンだ。フレアーは出かけるときも自分のキャデラックに乗せてくれて、運転までしてくれてね。レストランでみんなに飯を食わせて、家まで送ってくれて、ガソリン代も「いいよ、いいよ」と言って受け取らなかった。ホーガンはグアムのホテルのプールで会ったとき、俺たちプールサイドにいる客みんなにごちそうしていたよ。日本人でも外国人でもプロレスラーが人の分も払うのは珍しいよ。逆におごってもらうのは平気。それも万国共通だね(笑)。

(構成・高橋ダイスケ)

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天龍源一郎

天龍源一郎

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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