注目は『最凶デスマッチトーナメント』。テリー・ファンク、タイガー・ジェット・シン、テリー・ゴディ、カクタス・ジャック、ダン・スバーンなど、様々なスタイルの豪華なメンツを揃えた。

 大会自体は破茶滅茶で盛り上がったが、メインで使用した時限爆弾装置が不発。「そよ風のようだった」とテリーが後に回想するほどのショボさは、ある意味で伝説となっている。

 その後2002年から2004年まで3年連続で5月5日に大会を開催したのが、冬木弘道設立のWEWならびに冬木軍プロモーション。

 冬木自身が2003年3月19日ガン性腹膜炎で亡くなってしまったため、大きな意味を持つこととなる。2002年WEW団体旗揚げ、03年冬木追悼、そして2004年プロモーション最終と波乱万丈に満ち溢れた川崎大会となった。

 特に2003年大会でのメイン、橋本真也vs金村キンタロー戦。ゴング直後、2人が冬木の遺骨を抱いて交互に電流爆破へ飛び込むシーンは、プロレス史に残るものとなった。

 翌2004年を最後に、川崎でのプロレスは行われていなかった。久しぶりの興行開催に胸を熱くしたファン、関係者は多い。形は変わってしまったが、川崎球場での定期開催を望む声は少なくない。

 屋外球場での興行は会場設営などに莫大なコストがかかる。天気によって中止リスクもある。屋根付きのドーム球場などが全国に建設されてからは、使用会場がドームの方へとシフトしたのは自然な成り行きだ。

 しかし屋外球場にも大きなメリットがある。もともと野球専用のためスタンドからフィールドが近く見やすい。そして屋外では火器使用など、様々な演出が可能。使い方次第で素晴らしいハコになる。ウイルス対策のため3密状態を避けることが絶対条件な昨今、屋外球場の価値がもっと見直されても良いはずだ。

 屋外球場には空の下ならではの極上な空間が広がる。強い日差しの下でビール片手に見る熱戦。夕焼けに照らされるリング上の選手たち。暗闇の中、ライトに浮かび上がる四角いリング。考えただけでワクワクするではないか。

 ウイズ、アフター・コロナ時において、プロレスを救うのは、屋外球場でのビッグマッチなのかもしれない。(文・山岡則夫)

●プロフィール
山岡則夫/1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍、ホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!公式ページ、facebook(Ballpark Time)に取材日記を不定期更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。