神宮といえばNPBヤクルトの本拠地、そしてアマチュア野球のメッカとして有名。

 1926年(大正15年)完成で90年以上の歴史を誇り(甲子園は24年開場)、所有は宗教法人明治神宮。プロレス開催も93年のUインターが初であった。使用に関して敷居が高そうに感じる球場であるが、近年はアイドル・乃木坂46が定期的にライブを開催するなど、幅広いジャンルで使われている。2030年前後をメドに新球場建設の話もあり、建て替え前にプロレス界も積極活用して欲しいものだ。

 川崎には『邪道』大仁田厚が再降臨した。

 アメフト専用に改修され、現在は富士通スタジアム川崎(川崎富士見球技場)となっている旧川崎。新日本・神宮と同日、佐藤光留(パンクラスMISSION)デビュー20周年記念大会「変態と呼ばれて」が開催された。大仁田は『テキサストルネードバンクハウス電流爆破バット6人タッグデスマッチ』に出場、存在感を発揮して勝利を飾った。

 プロ野球では閑古鳥の鳴くことが多かった川崎だが、プロレスでは多くの観客を集めた。

 力道山時代の1955年9月4日に日本プロレスが初めて使用したとされ、その後も不定期に大会を開催。ジャイアント馬場、アントニオ猪木も試合をしている。

 多くの大御所も戦った会場だが、やはりインディー団体によるビッグマッチの印象が強い。

 パイオニア的存在となったのは、1991年9月23日に初使用した大仁田厚のFMW。メインは大仁田vsターザン後藤『ノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチ』戦で、約3万3千人の大観衆を集めた。

 FMWはその後、2001年までに計7回の大会を開催。大仁田は1994年に天龍源一郎、1995年にハヤブサと対戦するなど、デスマッチで多くの名勝負を残し『邪道プロレス』の名を世に知らしめた。スタイルに賛否両論はあるがその功績は大きい。

 1995年8月20日にはIWAジャパンがビッグマッチ『KAWASAKI☆DREAM~インディーだって夢を見る~』を開催。真夏の炎天下、15時開始という過酷な条件下に約3万人のファンを集めた。

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記憶に残る、時限爆弾装置の不発