それで結局、ひとりの人が悪者としてあげられるんですよ。すべてがそういうふうに決まっていく。これだけ情報が世の中にあふれているからこそ、「いや、ちょっと待てよ」って深く考えなきゃいけないと思うんですよ。そうしないと、我々は魔女狩りみたいなことをやってしまうぞ。現にそうなってんだけど。

 すぐに、「右」か「左」か「白」か「黒」か「正」か「悪」かで、すぐに決めるのはダメだってことです。それを、バッサリいう人をものすごく評価する方向になっていることに対して、「よくぞ言った」なんて賞賛されるけど、いやいや違うって、バッサリ言い切った人に人間的優しさはないかもしれないし、ちゃんと分析して考えるってことを下手したらできない人かもしれないよ? という考え方もできるんです。その人に同調するのは危険だよ! 人間の考え方や発言ってある程度“情”の部分もあるから。

「この人は悪です」と言い切ったことで、世の中のみんなが「悪だ! 悪だ!」ってなったら、それって魔女狩りです。みんなそういう方向に、行き過ぎ。もちろん、僕もコメントをすることがある立場として気を付けています。「こんなの悪いに決まってる!」とか「ネットで見たらこれは悪い!」とか言いそうになることもあるけど、分析したり、調べてみたり、過去と比較してみたり、いろいろな思考を重ねて議論しないといけないと常に心掛けています。

 いろいろな側面で、遊びの部分を持たないと。遊びの部分とかのりしろっていうのは、人間にとって大事なんですよ。我々は、機械じゃないから。人間の頭ってアナログなんですよ。人間が作り出すものって、アナログだからこそデジタルを作り出したんですよ。デジタルって、人間の脳みそにとって夢の世界ですよね。「こんなことできたらいいな」って。アナログな脳が知恵を出し合って、デジタルを作り出せるという素晴らしいアナログを持っているわけですよね。

 ところが、いまの人間って、元々脳みそがアナログなんだけど、デジタル化しようとしているんです。だから、デジタルみたいなことをする。ひとつの情報が入ってくると、本来の人間の脳みそは、分析とか検証とかは続けてやろうとした。コンピューターは、次のステップの分析は、別の操作をしないとできないじゃないですか? AIでも動かさないと次の分析ができないでしょ? なんだか、人間がそういう風な状況になりがちかなと感じているんです。ここ数年、こんな状況が続いているからこそ、遊びがないと危険じゃない? 
って、そういうこと。

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人間臭いって言葉通り、人間は臭いのよ!