するとヤクルトはその裏、2死一、三塁から1番・坂口智隆のタイムリー内野安打で勝ち越し。自身の打順で代打が送られたため、小川はここで交代となったが、8回にも1点を加えたヤクルトは4対2で勝ち、最下位転落の瀬戸際で踏みとどまった。

 7回2失点の小川は、これで早くも昨年の勝ち星を上回り、リーグのハーラーダービー2位に並ぶ6勝目(2敗)。ヤクルトはこの日が今季54試合目だったが、この時点での6勝到達は、自己最多の16勝をマークした2013年のペースをも上回る。

 その2013年、創価大からドラフト2位で入団したルーキー小川の活躍は、実に衝撃的だった。当初は中継ぎでの一軍メンバー入りが有力視されていたが、オープン戦で好投を続けて開幕ローテーションの座をゲット。通算5714奪三振のメジャーリーグ記録を誇る大投手、ノーラン・ライアン(元レンジャーズほか)を参考にした左脚を大きく上げる豪快なフォームで、最下位に低迷するチームにあって16勝4敗、防御率2.93という圧倒的な成績を残した。

 この年はルーキーの当たり年で、巨人の菅野智之は13勝6敗、防御率3.12、阪神の藤浪晋太郎も10勝6敗、防御率2.75をマークしたのだが、小川は彼ら「ドラ1」を押しのけて堂々の新人王受賞。さらには広島・前田健太(現ツインズ)との争いを制して最多勝、そして勝率第1位にも輝いたのである。

 ただし、その後の小川のプロ野球人生は、必ずしも順風満帆ではなかった。むしろ“悲劇”がつきまとう。初の開幕投手に指名された2014年は開幕3連勝の好スタートを切りながら、4月18日の阪神戦(甲子園)でライナーを右手に受け、有鉤骨鉤(ゆうこうこつこう)を骨折。夏場に復帰して2年連続の2ケタ勝利にリーチをかけるも、シーズン最終戦で8回に味方のエラーで試合をひっくり返され、これを逃す羽目となった。

 2年連続で開幕投手を務めた2015年は、石川雅規の13勝に次ぐ11勝を挙げてチームのリーグ優勝に貢献するも、翌2016年からは3年連続で8勝止まり。2017年には左内腹斜筋肉離れから復帰後、チーム事情によってプロでは初めての抑えで起用され、7月7日の広島戦(神宮)で9回に5点リードをひっくり返されるという“悪夢”も味わう。シーズン終盤には右ヒジの疲労骨折により戦列を離れ、10月には人生でも初という手術を受けた。

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好調は高津監督の“おまじない”のおかげ?