「今回の甲子園出場決定はうれしかったが大会中止になった。それも1度は無観客で開催の方向だったのが一転した。本当にやるせなかった。縁がないというのか、何かいろいろな力が合わさって平高を邪魔していると思ってしまうほど」

「甲子園で試合をできるはずだったのが、いきなりダメになった。やりきれないですよね。子供たちには声がかけられなかった。触れてはいけないというか。意識的に野球の話もしなかった」

 捕手としてチームを牽引した三島毅輔の父、和久氏が振り返ってくれた。

「口には出さなかったけど、相当ショックがあったはず。今思えば、口数も減っていたのかな。それでも野球の練習を欠かすことはなかった。全体練習は禁止されていても個人練習はしっかりやっていた。そして夏の甲子園大会中止も決定してしまった。高校生にとっては酷過ぎる」

 結果を残したと思っても選ばれなかった。勝てると信じても実力を出せなかった。そして出場が決まっても大会自体がなくなった。

 小さな町の人々はこれまで同様、崖下に突き落とされた。「交流試合が甲子園出場回数にカウントされる」と言われても、何もうれしくなかった。またしても甲子園の土が踏めないはずだっだが、センバツ甲子園の代替として甲子園交流試合が急遽、決定した。

「交流試合、夏の県予選の代替試合が続けて決まった。代替大会で1試合でも多く今の仲間と試合をして優勝してから甲子園に行く。明確な目標ができてモチベーションも高まったのではないでしょうか」(三島和久氏)

「交流試合開催にこぎつけてくれた高野連など、『大人たち』に感謝の気持ちしかない。代替試合も同様です。こういう状況下だから運営方法など色々議論に上がったが、とにかくそういう場所を作ってくれたことが良かった」(樋野徹氏)

 しかし何の因果か、待ち焦がれた夢の舞台直前、またしても運命に翻弄されてしまう。

 開幕前日の9日、島根県内の高校で80名を超える大規模クラスター(感染者集団)が発生。平高からさほど遠くない立地、過去何度も対戦経験のある高校だった。大会中止の懸念が関係者の間を駆け巡った。

次のページ
「島根県が全国に大迷惑をかける…」