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史上最も甲子園に“翻弄された”学校 平田高校が夢舞台に立てた「大きな意味」

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山岡則夫dot.
甲子園で初めての試合に臨んだ平田高校の選手たち (c)朝日新聞社

甲子園で初めての試合に臨んだ平田高校の選手たち (c)朝日新聞社

 島根県立平田高校(=平高)。

 今年のセンバツで『21世紀枠』として“初の甲子園”を経験するはずだった地方公立校が夢の舞台を走り回った。その道のりは紆余曲折。困難に振り回され続けた末にたどり着いた、珠玉の126分間だった。

「ここまでいろいろな方にお世話になり、選手達の夢を実現させていただきました。ありがとうございました」

 試合後、植田悟監督が涙ながらに語ったインタビューが話題になった。「0-4」という結果以上の善戦も称えられた。

 しかし、表に出てきたそれらは氷山の一角。『21世紀枠』『公立校』という肩書を抜きに、平高が歩んできた道のりには多くのことがあった。

 島根県出雲市平田町は、日本海に面した美しい景色が溢れる町だ。以前の平田市は過疎化が進み、人口3万人を割り込むまでとなった。05年に近隣の出雲市などと合併、現在の平田町となった。町にある唯一の高校は、同町近隣で生まれ育った者にとって『ルーツ』ともいえる。

 甲子園出場の機運が最も高まったのは86年。前年秋季中国大会で8強入りし春のセンバツ大会出場が有力視されたが、補欠校どまりだった。その後『優勝候補筆頭』として満を持して迎えた同年夏、ここでは県予選決勝で惜敗する(対浜田商、1-2)。

『21世紀枠』導入後、平高はグラウンド内外での活動がたびたび評価された。そして今回、3度目の中国地区推薦校に選ばれていた(15、18年に続き今年が3度目。前回2度はいずれも補欠校)。春としては、3度目の正直で念願の甲子園出場が決定となった。

「当時は絶対に甲子園に行けると思っていた。前年秋は結果も出していたから、春は選ばれると思っていた。ダメだったけど夏があるので切り替えもできた。夏は負ける気などしなかったけど結果が出せなかった。今でも忘れられない。甲子園は遠かった」

 86年、最強の世代と呼ばれた時の主将、そして捕手としてチームを牽引した樋野徹氏は振り返る。


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