東海大浦安の浜名翔 (c)朝日新聞社
東海大浦安の浜名翔 (c)朝日新聞社

 打者を圧倒するような剛速球はピッチャーの最大の武器とも言えるが、魔球と呼ばれるような必殺の変化球もまた大きな魅力であることは間違いない。現在のプロ野球では千賀滉大(ソフトバンク)の“お化けフォーク”、山本由伸(オリックス)のカットボール、山崎康晃(DeNA)のツーシームなどが代表例といえるだろう。そして、高校野球の世界にもその時代を彩った変化球は存在している。そこで今回は甲子園で圧倒的な威力を発揮した必殺の変化球について振り返ってみたいと思う。

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 甲子園で活躍した投手ではまず桑田真澄(PL学園)を触れないわけにはいかないだろう。1年夏から5季連続出場を果たし、戦後最多となる通算20勝をマークして2度の優勝と準優勝を成し遂げた甲子園の歴史に残る大エースだ。その桑田の代名詞といえるボールが大きなカーブである。右バッターから見ると自分の頭に向かってくるような軌道から急激にブレーキがかかるため、初めてそのボールを見た打者は思わず上半身をのけぞらせることも少なくなかった。

 ちなみに桑田はプロ入り後のことを考えて投球術を磨くために、高校時代はカーブ以外の変化球を封印していたこともよく知られているが、その唯一の変化球がかなり高いレベルにあったことがこれだけの結果を残せた一因とも言えるだろう。

 桑田が甲子園に登場する2年前、同じカーブで甲子園を席巻したのが工藤公康(名古屋電気/現・愛工大名電)だ。ゆったりとしたフォームから繰り出す落差の大きいカーブを武器に、初戦の長崎西戦では16個の三振を奪うと同時に、金属バット導入後では初となるノーヒット・ノーランを達成。続く北陽戦では延長12回を21奪三振で1失点完投、準々決勝の志度商戦でも12奪三振で2安打完封と快投を見せてチームをベスト4に導いた。工藤本人は江夏豊(元阪神など)のフォームを参考にしていたと語っているが、その変化球のレベルも江夏に匹敵するものだった。

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西尾典文

西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

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魔球を操った小柄な“急造エース”