嫁という家族が増えたことを喜ぶのではなく、タダ(無料)の働き手が来たことを喜ぶのです。

 そして、そう受け止めることを当然としているのです。

 10年以上前、当時の厚生労働大臣が女性を「産む機械」と発言しました。

 人間ではない、という意識ですね。

 この言葉も、「無償の労働力」の延長にある発想だと思います。黙って働き、跡継ぎを産む。それが仕事。人間としての尊厳とか尊敬は関係ない――こんな考え方です。

 感謝の言葉ひとつなく、「ペットボトル1つ自分で持たず無言で」元気な主婦さんに渡すのは、対等な人間だとは思っていない証拠です。

 元気な主婦さん。ここまで読んで、哀しい気持ちになりましたか? それとも怒りですか?

 もう少し話を聞いて下さい。

 元気な主婦さんは、「お忙しい中些細な問題で恐縮なのですが」と書きますが、これは決して「些細な問題」ではないのです。

 コロナ禍で、外国から死者の少なさを聞かれた麻生太郎財務大臣は、「国民の民度が違うから」と答えました。

 この「民度」は、海外で報道される時に、直接の英語がないので、「国民の優秀性」とか「市民の文化的水準」とか「社会的マナー」などと訳されました。

「社会的マナー」が高いから、日本ではコロナ禍の死者が少なかったという説明です。

 でも、日本に来る外国人がよく驚くのは、男性がパートナーである女性に荷物を持たせて、平気で街を歩いている風景です。

 一度、知り合いのアメリカ人女性が、街で目撃した何組かの日本人夫婦の姿について興奮していました。

 夫が妻に当然のように荷物を持たせた上に、お店に入る時に夫が先にドアを開けない、レストランで座る時に夫が椅子を引かない、この国のマナーはなんなのと。アメリカ人女性の怒りです。

 日本が「社会的マナー」の優れた国だといっても、「女性に対するマナー」が優れているとは、多くの外国人は納得しないでしょう。

 夫だけではなく夫側の家族には、妻を人格を持つ対等な人間ではなく、無償の労働力として見ている人達が多いということは、そのまま、「女性の地位」を示します。

 世界の男女平等をランキングした「ジェンダー・ギャップ指数」では、2019年、日本は153カ国中、121位でした。この想像を超えた凄まじさを、日本が本当の意味で大問題にしてないことが、事態の深刻さをはっきりと表しています。この国の権力を持っている男達は、この結果を深刻なことだと受け止めてないのです。

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この国の「恥ずべき典型」