「つくりたいのは市長であるが、市民の多くが反対のようである」として、「八百長」に言及する。

「伊東市の新聞の伝えるところによると、さるボスにわたりをつけて場内整理をたのんだところ、このボスはほかの競輪場の場内整理を二十万円で請負っているが、伊東は観衆が少いから、二十五万でも合わないと渋ってみせたという。観衆が少いから、ひきあわないとは妙な話で、少いほど場内整理はカンタンの筈であり、入場料の歩合をもらうワケではなく、整理料はちゃんと二十万、二十五万と定まって貰う筈である。だから、観衆が少いから、というのは、ボスに対して一日に一レースは黙認されている八百長レースの配当が低い、ということを意味し、八百長の存在を裏書している言明だとしか思われない」

■八百長の戦法は「逃げきる」

 安吾は、八百長の仕方をどのようなものと考えていたのだろうか──。
 
「競輪には八百長が多いと云われている。私の三日間の観察でも、たしかに、そうだ、と思われる節が多かった」と安吾は書いている。

 安吾は、いくつか、具体的な「八百長」の仕方について触れているが、ここではひとつだけ安吾の主張を取り上げておこう。

 それは「逃げきる」という戦法についてである。

「これは千米レースに行われることで、名もない選手がグングンでる。トップ賞といって、各周ごとに先登(ママ)をきった者が千円もらえるので、弱い選手が始めグングンとばして千円狙うのは、いつものことだ。ハハア、先生、トップ賞を稼いでいるな、とみな気にとめていないが、二周目に速力が落ちるどころか益々差をつけ、最後の三周目に、強い連中が全馬力で追走しても、追いつけないだけ離している。そしてトップのまま逃げこんで、優勝してしまう、これを逃げきる、と称して、観客は弱い選手の巧妙な戦法の一つだと思いこんでいるのである」

 ところが、安吾は、これを自分の経験から推測して「八百長」だと見る。

「私は、昔、陸上競技の選手であったが、しかし、陸上競技の選手でなくても、分ることだろう。本当に実力がなければ、逃げきる、ことなどが出来る筈はないのである。名もない選手が、それまで実力を隠していて、突然実力いっぱい発揮して、逃げきって、勝つ。これなら分る。しかし、それまで弱い選手、そして、その後も弱い選手が、一度だけ逃げきって勝つなどということは有りうべきことではないのである」

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ついに「八百長」を告訴…