ちなみに筆者は、マスクが苦手で、会話するとき以外はしないことにしている。そのかわり、外出中は口を開かないようにしているが、とりあえず、誰かと険悪になったことはない。これは低い人口密度のおかげでもあるだろう。ソーシャルディスタンスが自然と成立する土地なのだ。その物理的な距離感もあいまって、つきあいたくない人とはつきあわないこともわりと可能だったりする。これは都会のわりにムラ社会的な密着度が強い名古屋あたりとは違うところだ。

 まぁ、それだけ、岩手が本物の田舎だということだろう。そういえば、コロナゼロ県がどんどん減っていった頃は中止になった春の高校野球の時期と重なっていて、岩手は「田舎センバツ」優勝などと言われた。実際、最後まで争った鳥取や島根も本物の田舎だ。と同時に、因幡の白兎や八岐大蛇といった神話も持っている。自然を畏れ、穢れを避けようとする県民性も似ているのではないか。

 そういう意味では世界のなかでガラパゴスにたとえられる日本も、グローバリズムとはちょっと相いれない田舎だろう。だからこそ、逃げる避けるの方針で、コロナ封じ込みに今のところ成功しているわけだ。つまり、ピリピリ感もビクビク感も、反グローバリズムも、じつは日本全体に共通するもの。その強みを最大に発揮してきたのが岩手だということにすぎないのかもしれない。

 岩手県民、そして日本人として、この強みがウィズコロナの時代に有効であり続けることを期待したいものだ。

宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

著者プロフィールを見る
宝泉薫

宝泉薫

1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

宝泉薫の記事一覧はこちら