また、石川県では少し落ち着いた時期に知事が観光客の歓迎をアピールしていたが、県内でクラスターが発生したことで発言撤回に追い込まれた。逃げる避けるが基本方針の岩手では、こういう事態も起きにくかったわけだ。

 思うに、こうしたスタンスの背景には、反グローバリズム的な意識がある。欧米や最近の中国が主導するグローバリズムは、岩手にとって不自然でむしろ怖いものなのだ。たとえ、経済的なうまみがあっても、そこへの警戒心をゆるめることはない。

 実際、県内最大の銀行である岩手銀行は、バブル期にも拡大戦略をとらず、おかげで崩壊後の痛手も少なかった。原子力発電所が作られそうになったときも反対運動がおこなわれ、実現はしなかった。その先頭に立った開拓保健婦で歌人の岩見ヒサは、著書にこう記している。

「土地を売り海を渡し大金を手にした六ケ所村の人たちは、現在幸せな生活を送っているのだろうか」(「吾が住み処ここより外になし」)

 その六ケ所村のある青森県や北海道は、中国からの観光客や土地をめぐる投資の誘致に熱心だが、岩手はそうでもない。むしろ、県出身の後藤新平や新渡戸稲造が日本統治下の台湾で活躍した縁で、今も台北との航空便が存在していたりする。この中国より台湾という伝統も、コロナ対策には幸いした。

 なお、近年のグローバリズム志向がコロナ禍をエスカレートさせたことはいうまでもない。日本も新型肺炎(SARS)のときのように、ひと昔前なら感染症を水際で止められたのだ。そんななか、江戸時代の鎖国期みたいな雰囲気をうまく残している岩手が一定の成果をあげてきたことは注目されていい。

 もちろん、岩手にもコロナ禍によるギクシャクした空気はあり、経済的な損失に苦しむ人もいる。ただ、それが激しい軋轢につながりにくいところが岩手らしさだったりする。津波てんでんこが象徴するように、対応は人それぞれというか、災厄だから仕方ないと諦め、意見の合わない人とは距離を置くことで済まそうとしがちなのだ。

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「田舎センバツ」優勝