そういえば、4月には、県内の病院が妊婦の受け入れをめぐり、混乱をきたしたことが報じられた。その実情は里帰り出産が予約されておらず、不慮の破水による飛び込み出産だったため、感染対策もあってやむをえない対応だったが、あのニュースで岩手のピリピリ&ビクビクムードを感じた人もいるだろう。

 ただ、ここでいうピリピリやビクビクはそういう表立ったものではない。県や県民全体にどことなく漂う空気感だ。そして、それこそが岩手をコロナゼロ県にしていたのだと思われる。

 これはどういうことかというと――。岩手ほど、自然を畏れ、敬い、戦うよりも共存しようとしてきた地域はなかなかない。筆者は東海地方の名古屋近郊と首都圏でそれぞれ20年前後をすごしたあと、岩手に移住して16年目になり、旅行では全都道府県を訪れているが、これは確信に近い実感だ。

 なにせ、県名の由来からして、岩に押されたという「鬼の手形」の伝説。カッパや座敷わらしなどの妖怪もなじみ深い存在だ。また、コロナよりのほうが怖いという人もいる。実際、全国のコロナ禍が落ち着いてきたので再開しようとした旅館の女将が熊に襲われ、再開が遅れるという出来事も起きた。

 さらに、頻発する地震や津波だ。これほど自然の驚異を感じさせるものはなく、沿岸地区には「津波てんでんこ」という教えもある。津波のときは人のことなど考えず、てんでんばらばらで逃げて自分で助かろうとしろ、というものだ。

 感染症も自然の驚異のひとつだし、簡単に勝てる相手ではない。そして、それは昔から避けるべき穢れをもたらすものでもある。それゆえ、岩手はコロナに対しても、逃げる避けるという方向で対処してきた。

 その象徴が、PCR検査のほどよい少なさだ。テレビのワイドショーではいまだに、MCやコメンテーターが検査、検査と声高に主張しているが、その精度は不完全で、検査直後に陽性に転じることもある。科学の力を過信して、あの検査に頼りすぎることがない姿勢がかえって奏功していたのではないか。

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江戸時代の鎖国のような空気