臨床に関わる人は、人の生死を他人が決めるという、どう考えても非倫理的なことをせざるを得ない。その負い目を生き残った人は背負わなければならない。なのに、人生会議という手続きさえすれば心理的な負担を解消できるという幻想をまき散らすのは、人は合理的に生死を決めることができるという幻想を拡大させる。

 それこそ人生会議に限らず、第三者によって常に健康状態を監視しさえすれば合理的に意思決定できるし、監視すべきだという意見に帰着することだって考えられます。しかし、自分の健康を管理する権利は誰のものでもなく、自分のものです。それを第三者に明け渡すことを制度化するようなことがあってはなりません。

――映画にもなったSF小説『ハーモニー』(伊藤計劃)は、非合理的な人間の意識を消し去ってしまい、健康を監視することこそが合理的だというディストピアを描いていました。

 新型コロナウイルス感染症が広がっている今、まさに人々は『ハーモニー』が描いた世界を無垢に肯定し始めています。今こそ読まれるべき作品だし、これに負けないぐらいの濃厚なコンテンツが必要とされていると考えています。

(文/白石圭)