そんな苦しい状態で迎えた夏の宮城大会、チームは準々決勝までの4試合すべてコールド勝ちも、平沢は8打数2安打と調子が上がらず、準決勝の石巻戦も5打数無安打。決勝の古川工戦では、2対0の5回に2点タイムリー三塁打を放ち、1イニング10得点の猛攻の火付け役となったものの、通算17打数3安打、打率1割7分6厘に終わった。打撃不振の中でも、四球や犠打でつなぎ役になり、8打点を稼いだのは、非凡の証明と言えるが、「チーム(全員)に救われた」と責任を感じていた。

 そんな悩める主砲に、甲子園入り後、佐々木順一朗監督は「とにかく振り切っていこうや」とアドバイス。チームメートの郡司裕也(現中日)からも「大河はセンスで打てばいい」と励まされた平沢は、1回戦の明豊戦、初回の甲子園初打席でいきなりバックスクリーン右への先制2ランを放ち、大舞台で自分のスイングを取り戻した。

 エース兼4番が全然打てなかったのに、その分を全員でカバーして甲子園にやって来たのが、16年の東邦だ。

 藤嶋健人(現中日)はエース、4番、主将の一人三役。初戦(3回戦)の渥美農戦は7回8奪三振、4回戦の東郷戦も6回7奪三振といずれも無失点に抑えたが、左手首に死球を受け、打つほうでは2試合で8打数1安打に終わる。

 死球の影響で、5回戦は完全休養。準々決勝も1イニングのリリーフにとどまったが、2番手の左腕・松山仁彦が2試合に先発し、9番の鈴木理央が4割、2本塁打を記録するなど、チーム一丸となって大黒柱の穴を埋めた。

 投打にわたる仲間のアシストに奮起した藤嶋も、準決勝の栄徳戦で6安打完封。決勝では愛工大名電を7安打2失点とエースの意地を見せ、チームを春夏連続の甲子園に導いた。

 その一方で、通算13打数1安打1打点、打率0割7分7厘は、4番らしからぬ大不振だったが、甲子園では「3年間一緒だった仲間たちと楽しく臨みたい」と気持ちを切り替え、14打数8安打9打点と文句なしの成績を残している。

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“清原超え”の甲子園スターも…