多種多様な凶器を使用してプロレスファンを震撼させたミスター・ポーゴを覚えているか?※写真はイメージ (c)朝日新聞社
多種多様な凶器を使用してプロレスファンを震撼させたミスター・ポーゴを覚えているか?※写真はイメージ (c)朝日新聞社

『極悪大王』ミスター・ポーゴ。

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 インディ団体を中心に存在感を発揮してきた大ヒール。ファイトスタイルは単純明快、悪の限りを尽くして相手を痛めつける。

 デスマッチ自体が縮小傾向に感じる今日だが、ポーゴが築いてきた狂乱の世界はいまだ色あせない。使用した凶器、攻撃の類は尋常でなく考えただけで戦慄が走る。

 プロレス人気復活が叫ばれる。『戦い』『肉体美』『エンタメ要素』などが絡んだ、世間に伝わるわかりやすいファイトが脚光を浴びている。

 著名雑誌『スポーツグラフィック・ナンバー』(文藝春秋)内でも大々的な特集が組まれたほど。表紙はアントニオ猪木とオカダ・カズチカ(新日本プロレス)。「ベストバウトをぶっ飛ばせ!」という企画内容で、過去の名勝負を振り返るものだ。しかしこの中でデスマッチは取り上げられていない。

「デスマッチ=邪道(=プロレスではない)」という考えが主流だった。

 そこへ大仁田厚が立ち上げたFMWなどが旗振り役になり、業界や世間に対して存在価値を訴え続けた。固定観念を打ち破り、団体によってはメジャー団体に準ずるほどの人気を誇るものも現れた。その時にヒールの中心として常に暴れていたのが、ポーゴだった。

『極悪大王』は経歴も異色だった。柔道のスポーツ推薦で入学した中央大(同期入学のジャンボ鶴田は一般入試での入学)を1年で中退し角界入り。序二段まで進んだがケガで廃業。その後、新日本入りし、デビュー戦は藤波辰巳と戦った。

 1シリーズのみで新日本退団後は渡米しケンカファイトなどを会得。のちの世界的レスラーとの接点も多く、リック・フレアーと行動を共にしたり、ザ・ファンクス(テリー&ドリー)、ダスティ・ローデスなどと対戦。ハーリー・レイスとは金網デスマッチの経験もある。

 帰国後は国際プロレスを経て新日本にも参戦。ケンドー・ナガサキと組み、藤波辰巳&木村健悟のIWGPタッグ王座にも挑戦した。

 その後は地元の工場で働いていた時期もあったが、FMWからのオファーで参戦し極悪ファイトが本格化。W★ING、WAR、IWAジャパン、大日本など多くの団体で存在感を発揮。00年、埼玉県本庄市に新団体WWSを旗揚げするとともに、故郷の伊勢崎市市議会議員にも立候補するなどした。

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信じられないような殺戮攻撃