それほどまでに、甲子園の土は選手たちにとっては価値のあるもののようだ。だが、持ち帰った土が思わぬ騒動を巻き起こしたこともある。

 1958年夏の甲子園で、戦後初の沖縄県代表として出場した首里が土を持ち帰ろうとしたときだ。当時、沖縄県はまだ日本に返還されておらず、アメリカの統治下にあった。甲子園の土は沖縄では「外国の土」という扱いになり、植物防疫法によって持ち込みが許されなかったのだ。結局、土は那覇港で海に廃棄されてしまったという。

 土が廃棄されたことを知った日本航空の客室乗務員が、土の代わりとして甲子園周辺の小石を集めて、同校に贈った。その小石は、今も同校にある「甲子園出場記念碑」にはめ込まれている。

 「たかが土」と侮ってはいけない。甲子園の土だけでもこれだけのドラマがあるのだ。だが、なかにはあっけない結末を迎える土もあるようだ。96年夏の甲子園に本工(熊本)から出場した星子崇さん(41)は「おそらく、親に捨てられたと思います」と話す。

「さだかではないのですが、おそらく実家が引っ越した時に捨てられてしまったと思います。私自身、土にそこまでの思い入れはありません。甲子園の土拾いは、伝統というか、『演出』みたいなところがあると思っていて。私もその流れに従って拾っただけです。もともと、そこまで土を欲しいとも思っていませんでした」

 星子さんだけではない。意外にも、「土を紛失した」という人は一定数いるようだ。横浜(神奈川県)で松坂大輔(現・埼玉西武ライオンズ)ともバッテリーを組んだタレントの上地雄輔(41)は、TBSの情報番組「グッとラック!」に出演した際、甲子園の土について聞かれると、「どっかいっちゃった」と話した。

 なかには、甲子園の土を転売するというあるまじきケースもある。ある大手フリマアプリで「甲子園の土」と検索すると、小さなビンに入った土が数千円で売られているケースがいくつも確認できた。

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土で就職試験が有利に!?