ウスビ・サコ京都精華大学長(写真=大学提供)
ウスビ・サコ京都精華大学長(写真=大学提供)

 アフリカ・マリ共和国出身のウスビ・サコ京都精華大学学長は、日本人が「学校教育に期待しすぎている」ことに疑問を呈す。「学校で子どもの個性はそれほど育たない」「子どもはだらだらした時間を使うことが大事」と訴える、その真意とは――。発売中の書籍『アフリカ出身 サコ学長、日本を語る』(朝日新聞出版)から、一部を抜粋して紹介する。

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 日本で長年生活しているが、どうしても理解できないこと、ヘンだなと思うことがいくつかある。厳しい言い方になるかもしれないけれど、感じた通りに伝えてみたい。

 まず、学校というものに対する日本の人々の過剰な期待感に、私はビックリしている。なんだかわからないけれど、とにかく日本人は学校が大好きなのだなと思っている。

 本来は、家や地域でやるべき教育があり、役割分担がある。けれど、その多くが学校に任されていて、そのことによって学校が不自由になっているようにも見える。

 日本の子どもたちを取り巻く環境で最も懸念するのは、日々の生活にまつわるあらゆる要素が学校に集結し、人生そのものが学校中心になっている現状だ。部活も友達も、全てが学校にあるため、学校以外のものが考えられないような時間のつくりになっているように見える。

 運動部などの部活のある子は朝一番に学校行き、夜遅くに帰ってきて寝る。家でゆっくり趣味の本を読むとか、何かふざけた映画でも見ようかという暇すらないようだ。

 部活をやっていた私の息子たちも例外なく朝から晩まで学校にいて、好き勝手にだらだらする時間がない。よくそんな生活に耐えられるなと、親として違和感を抱いていた。

 しかし日本の親は、そんな状況に安心していると聞き、さらにビックリする。

「部活に入っているから、余計な趣味に気が散らなくて安心」などと言うのだから、わけ
がわからない。

 それって、逆じゃないの?

 日本の小中学校の教育はフレーム化されていると思うのだが、国家が国民をコントロールするためには、それなりの教育をつくっていかなければならないし、国民国家を築いている限り、教育を基本にして国民のあり方をつくろうとするのは自然なことだ。

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