甲子園は人生を変える」と副島監督は語る。自身も甲子園で人生が変わった一人だ。副島監督は大学を卒業後、銀行に就職。しかしその後、4度の教員採用試験を経て、高校野球の指導者としての道を歩み始めた。きっかけは、母校・佐賀北の応援で甲子園を訪れたとき、自身の高校時代を思い出し、再び野球への情熱が湧きおこったことだった。

 2007年、夏。高校3年だった副島監督は佐賀北の選手として甲子園の舞台に立った。当初は「甲子園で校歌を歌うこと」が目標だった同校だが、次々と強豪校を破り、迎えた決勝戦。0対4とリードを許して迎えた八回、佐賀北が1点を返し、なおも満塁の好機。副島監督に打席が回ると、奇跡的な逆転満塁本塁打を放った。佐賀北は、その後リードを守り、甲子園優勝を果たした。
 
 優勝候補ではなく、全くのノーマークからの全国制覇だった。それを経験した副島監督だからこそ、「野球は何があるかわからない」と信じている。現在の唐津工は3年生が一人。甲子園はいばらの道だったが、それでも本気で目指すからこそ、仮に負けても、そこから今後の人生のために学ぶことがあると考えていた。

「代替の大会で、ただ野球をやるだけで、負けた時に悔しい思いができるのかな」

 そんな葛藤を、いまも抱えている。副島監督は言う。

「唯一の3年生の選手は一塁手です。代替の大会で優勝を目指すなら、彼をそのまま起用します。ただ、彼はもともと捕手希望でした。他の選手とのレギュラー争いでコンバートしたのです。この大会を思い出作りととらえるなら、今大会だけは彼を捕手として使うこともありえる。どちらをとるのが彼のためになるのか。迷っています」

 佐賀県の代替大会は11日に開幕する。副島監督はどのような決断を下すのだろうか。(AERA dot.編集部/井上啓太)