2対7で敗れ、3年ぶりの甲子園出場を逃した試合後、国府田主将は「5回表で瀬川が生きていたら、同点だったのに、あのときから流れが変わり、チームが力んでしまった。谷商は甲子園で頑張ってほしい」とエールを送りながらも、「でも、5回のジャッジは納得できない」と悔しそうな表情だった。

 川口工とは対照的に、一度は敗戦(ゲームセット)を宣告されながら、思いがけず誤審が覆ったことによって奇跡の逆転勝利を引き寄せ、甲子園への道が開けたのが、77年の酒田工だ。

 山形大会準々決勝の米沢商戦、3対4で迎えた9回表、酒田工は1死満塁のチャンスに兵頭守が右飛を打ち上げた。三塁走者・高橋保がタッチアップからホームイン。土壇場で同点に追いついたかにみえた。

 ところが、三塁を狙った二塁走者・青塚司が中継のセカンドからの送球でタッチアウトになったことから、球審はタッチアウトが高橋のホームインより早かったと判断。酒田工の得点を認めず、ゲームセットを宣告した。

 だが、スタンドから見ても、ホームインのほうが早かったのは明らか。一部始終を見ていた控えの審判が誤審を指摘し、協議の結果、4対4の同点で試合続行となった。

 そして、この判定変更で九死に一生を得た酒田工は延長10回2死一塁、本多昭洋の右中間二塁打で5対4と勝ち越して逆転勝ち。この勢いで準決勝、決勝も勝ち抜き、見事甲子園初出場。初戦の都城戦では青塚がヒーローとなり、甲子園初勝利を挙げた。

 前年10月の大火で中心街が広範囲にわたって焼失する被害を受けた酒田市は、春のセンバツで酒田東、夏は酒田工と連続して地元校の快挙に大きな勇気をもらうことになった。

「ファウル」の判定が「ホームラン」に変わったと思ったら、再び「ファウル」に訂正。こんな二転三転の判定に右往左往させられたのが、18年の東東京大会準々決勝、小山台vs安田学園だ。

 1対1の同点で迎えた8回表1死、小山台の1番・松永和也が左翼ポール際に大飛球を打ち上げた。ホームランかファウルか際どい弾道だったが、三塁塁審は「ファウル」とジャッジした。

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高校野球では“激レア”な光景