■質的改善が進む寝台車

 ここまでの寝台車は、20系の一部などに見られた個室寝台(A寝台。1969年5月以前は1等寝台)のほかは2段式A寝台と3段式B寝台が主力で、581・583系電車や14系客車以降はB寝台の幅を従来の52センチから70センチに拡大したものの、居住性の向上が停滞していた感があった。そんななか1974年4月に登場した24系25形客車は、B寝台を2段化され居住性が大幅に向上。1982年には14系や24系B寝台の2段化改造も進んだ。

 接客設備の改善はさらに拡大し、1984年7月には4人用B個室寝台「カルテット」が特急「さくら」「みずほ」に登場、翌年3月になると特急「はやぶさ」に「ロビーカー」がお目見えし、定員外のパブリックスペースとして解放された。また、87年3月から特急「あさかぜ1・4号」に連結されたスハネ25-701~703は、2人用B個室寝台「デュエット」8室のほかシャワー室や飲料水の自動販売機などを備えたミニロビーからなる斬新な設備で話題に。寝台列車は編成多様化の時代を迎えつつあった。  

 そんななか、新たな試みへのきっかけをもたらしたのが1988年3月の青函トンネル開業であった。国鉄ではトンネル開業後の本州~北海道直通列車を見越して車両の改善に着手。2人用A個室寝台「ツインデラックス」を先行して上野~青森の特急「ゆうづる」2往復に連結、並行して食堂車の内装リニューアルなどを進めている。この動きは加速し、意匠を凝らした寝台車やパブリックスペースが登場することになっていった。

■相次ぐ豪華寝台車の登場とJR初の新造寝台列車

 1987年4月1日、国鉄改革を受けJRグループが発足。新生JRは寝台列車のさらなるグレードアップに乗り出した。その先陣を切ったのが1988年3月にデビューした特急「北斗星」で、上野~札幌に季節列車1往復を含む3往復が設定された。シャワーつきA個室寝台「ロイヤル」を筆頭に寝台車の充実をはかったほか、予約制ディナーなどが楽しめる食堂車などが一般マスコミをも巻き込み新たな「ブルトレブーム」を牽引。青函トンネルを越えるというインパクトとともに、一躍人気者になったのである。

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東京・京阪神~九州の衰退が目立つようになる