私たちの“予定”では、左右の音の出方がおかしいことに先生が気づき、スピーカーコードを直しながら「誰かいたずらをしたのではないかな」と指摘するはずでした。我々は「僕らがやりました。でも、さすがに先生、ちゃんとわかるのですね」と言うと、先生は苦笑いしながら少し自慢げに「わかるに決まっているじゃないか、こんな子どもだましのようなことはやめなさい」と注意する、そう想像していました。
ところが、数十分の鑑賞時間、先生は気づきませんでした。いや、もしかしたら、音の左右がおかしいことも、我々のいたずらにも気づいていて、あえて気づかないふりをしていたのかもしれません(注)。
気づかれなければ、いたずらは失敗です。いたずらは、気づかれて注意されてはじめて成功なのです。だから、注意されれば「ウケた」と思い、もっとやりたくなってしまうのです。
さて、我々のいたずらには長所がありました。厳しいルールで息苦しい校内で、意表をついて少しルールを破るのです。創造的ないたずらであれば、皆が「はっ」と驚き、うまくいけば笑いの渦が起きます。えらそうにしている先生のひょうきんな面が現れれば、なおさら効果が大きいのです。いたずらは知恵を駆使したエンターテイメントなのです。
一方、いたずらには短所もあります。ルールを破りすぎると大問題になります。先生によっては、笑い飛ばしてくれないこともあります。いたずらは、いたずらを見ている人々が面白がっていても、いたずらをされる人にとっては不快であることも多いのです。
いたずらっ子は、いたずらをされる人の思いに敏感でなければいけません。「ウケた」と思えても、いたずらをされる人が不快であっては失敗です。誰かが不快になるようないたずらをくり返すいたずらっ子は、いたずらをされる人の思いに鈍感なのです。この場合は、「本気の注意」をしなければなりません。
男子の中に、女子の注意をひこうといたずらをする子をたびたび見かけますが、これは私の経験から考えて、逆効果です。注意をひきたいならば、いたずらはせずにジョークで笑わせたり親切にしたりすることです。
(注)音楽室の一週間後の授業でも音は左右逆のままでした。そのとき我々仲間は「先生は本当に気づいていなかったのだ」と確信しました。先生ごめんなさい。ちゃんと元に戻しておきました。
【今回の結論】注意されることで、いたずらが成功している面があるので、単なる注意ではいたずらはおさまらない。いたずらは創造的な行為だが、いたずらされる人の気持ちを確かめながら慎重に行うべきである