とまあ、これが作詞家・秋元が売れるまでの概略だが、ここで再評価したいのは初めて手がけたアイドル・つちやかおりでの仕事だ。彼は「全然売れなかったけど(笑)」としつつ「けっこう盛り上がって作ったんだよね」と振り返った。実際「秘密じゃないけど秘密」をはじめとする数作品には、やがておニャン子へとつながる秋元らしさがすでに垣間見える。女性アイドルとの相性は最初からよかったのだ。

 とはいえ、作風に文学性がやや欠けるところから「内容のない松本隆」などと揶揄もされた。しかし、彼にはその分、ベタでわかりやすい叙情性があり、そして何より、崇拝する阿久悠から学んだ大胆な企画力があった。この叙情性と企画力とが高いレベルで結実するのが、美空ひばりの「川の流れのように」(89年)であり、21世紀になってからのAKB系や坂道系での作品群だろう。

 そういう意味で、売れる前の数年は大作詞家となるための助走期間に他ならない。黒歴史というより、若さゆえの試行錯誤はさながら「青歴史」だろうか。それに比べたら、93年におニャン子の二番煎じと美少女ブームの後追い(?)をやろうとして失敗した小学生グループ「ねずみっ子クラブ」あたりのほうがよっぽど黒歴史かもしれない。

 話を冒頭に戻すと、YOUが自分の黒歴史を告白してまで秋元をネタにしたのは、それだけウケを狙えると踏んだからだろう。つまりは、秋元がいかにいじりがいのある大物かということだ。

 ただ、このところ、AKB系も坂道系も失速がささやかれている。当時から「売れる詞がいい詞だ」が持論だった男にとっては、ぜひ巻き返したいところだろう。

 そういえば、前出のインタビューではこんなこともぼやいていた。雑誌「明星」の付録「歌本」での扱いについて「松本さんの詞とか」はカラーページをまるまる使うかたちで載っているのに、自分のは「後ろのほうの紙が悪くなってるトコ」に、半ページとか3分の1ページだったりするとか「時々『秋元』の『元』が『本』に間違えられるのがさびしい」とか。この自己顕示欲の強さこそが、彼を大成功に導き、今のような時代ではいっそう突出した存在にしているのだ。

 なんだかんだ言われつつ、ここ十数年の音楽シーンを元気にしてきたひとりである秋元。もうあり余るほどの富も、ちょっとやそっとじゃ落ちない名声も手に入れたことだろう。ここはいっそ、新たな黒歴史を作ることも辞さないくらいの覚悟で、思い切ったことをやってもらいたい。

宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

著者プロフィールを見る
宝泉薫

宝泉薫

1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

宝泉薫の記事一覧はこちら