小室哲哉も岡村靖幸も小林武史も…歌手・渡辺美里が日本音楽界に与えた衝撃 <デビュー35周年秘話> (2/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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小室哲哉も岡村靖幸も小林武史も…歌手・渡辺美里が日本音楽界に与えた衝撃 <デビュー35周年秘話>

山田宗太朗dot.#朝日新聞出版の本#読書
1985年10月に発売されたデビューアルバム『eyes』のアウトテイク。当時19歳(書籍『ココロ銀河─革命の星座』より』)

1985年10月に発売されたデビューアルバム『eyes』のアウトテイク。当時19歳(書籍『ココロ銀河─革命の星座』より』)

1986年から2005年まで、20年間毎年夏に開催された西武球場でのスタジアムライブ。なお、タイトルは第1回の「KICK OFF」に始まり第20回の「NO SIDE」で終わるが、これはラグビーの試合開始と終了を意味し、高校時代に美里がラグビー部のマネージャーを務めていたことに由来する(書籍『ココロ銀河─革命の星座』より』)

1986年から2005年まで、20年間毎年夏に開催された西武球場でのスタジアムライブ。なお、タイトルは第1回の「KICK OFF」に始まり第20回の「NO SIDE」で終わるが、これはラグビーの試合開始と終了を意味し、高校時代に美里がラグビー部のマネージャーを務めていたことに由来する(書籍『ココロ銀河─革命の星座』より』)

 自分が目指す音楽について語る渡辺美里を見て、プロデューサー陣は考えを変えたのだろう。大江千里やTM NETWORKのスタジオワークを見学させながら、まだ女性アーティストが在籍していなかったエピックソニー(現・エピックレコードジャパン)からソロアーティストとしてデビューさせることにしたのだった。

 1985年5月2日、渡辺美里はケニー・ロギンスのカバー曲『I’m Free』でメジャーデビュー。前後してラジオ番組のパーソナリティーを始め、すぐに全国ツアーも敢行。半年以内に1stアルバム『eyes』をリリースする。

 その後はよく知られている通り、4thシングル『My Revolution』で初のオリコン1位、第28回日本レコード大賞金賞などを受賞すると、『Teenage Walk』『BELIEVE』『IT’S TOUGH/BOYS CRIED(あの時からかもしれない)』『悲しいね』『恋したっていいじゃない』など矢継ぎ早にヒット曲を連発。時代を代表する歌姫の座へと一気に駆け上がり、日本における女性ソロアーティストの原型をつくっていく。

■小室哲哉も岡村靖幸も、ここから羽ばたいていった

『My Revolution』があまりにも広く、長く愛されているため、この曲が渡辺美里のスタートなのだと勘違いされることもあるが、本当のはじまりは1985年10月にリリースされた1stアルバム『eyes』である。唇をきゅっと結び力強い眼差しで前を見つめながら前髪を切る独特なジャケットを覚えている人も多いだろう。アートワークは当時19歳だった渡辺美里自身によるアイデアで、U2のアルバム『WAR』を参考にしたらしい。当時からすでに自分をプロデュースする力を持っていたわけだ。

 このアルバム、クレジットを見てみると、かなり豪華なメンバーが制作に携わっていたことがわかる。作曲陣に名を連ねるのは、TM NETWORKの小室哲哉と木根尚登、そして岡村靖幸。1985年といえばTM NETWORKは『Get Wild』をリリースしていない、つまり大ブレイクする前だったし、岡村靖幸にいたってはデビューすらしていない。まだ何者でもなく、しかし才能あふれるネクストブレイク寸前だった若者たちがこの名盤に名を連ねているのである。『eyes』への参加をきっかけにTM NETWORKも岡村靖幸も作曲家としてのキャリアをスタートさせ、やがてその経験を自身の制作に還元しブレイクしていった。


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