「『もう一度子育てができるのか』と男性は私に子どもがいることを喜んでくれたんです。男性はバツイチで、大学生の息子さんは独立しているから、こちら側の負担はない。むしろ子育ての先輩であることも私にとってプラス材料でした」

 平山さんはこれまで3度の離婚を経験してきた。5歳の息子は7年連れ添った3人目の夫との間に授かったが、出産して1年後、離婚調停の末に親権は平山さんが持った。

「離婚すれば普通は気持ちが沈むんでしょうけど、『こんなに離婚することってある?もしかして私の人生、面白いかも』なんて思ったりもしました」

 当時を笑いながら振り返る平山さんだが、そこから女手一つで子どもを育てる苦労は想像以上だった。生活のため、離婚後すぐに育児休暇から復職したが、子どもを預けている保育園からは、たびたび「熱が出てしまったので迎えに来てください」という連絡がきた。クライアントへのプレゼンの直前に早退を余儀なくされることもあった。寝る時も子どもは2時間ごとに起き、ミルクをせがまれる。

「睡眠時間なんてほぼありませんでした」

 限界だった。疲労がピークに達したとき、朝の通勤中に不注意で駅の掲示物に激突した。額からの出血が止まらず、地面には血だまりができるほどだった。午前7時、通勤ラッシュの時間帯でホームには多くの人が行き交う。周りの視線こそ感じたが、助けてくれる人は誰もいなかった。意識がもうろうとするなか、自力で駅員のいる事務所までいき、そのまま病院へ運ばれるほどの大ケガだった。

「大げさかもしれませんが、『このまま死ぬかもしれない』という時に、最初に考えたのが『会社に電話しなきゃ』だったんです。もしかしたら、子どもにも会えなくなるかもしれないのに」

「子育てしながら働く」とは、こういうことではないはずだ。平山さんは退職を決意した。

 子育ての時間に融通が利くように、平山さんは自ら起業することを決意。専門のセミナーに通い、起業の準備を進めた。だが、当然会社を立ち上げるまでの収入はゼロだ。元夫からの毎月の養育費や、自治体からの児童手当こそあったが、経済的に苦しかった。お金をおろしに銀行に行くと、預金残高は980円。有人の窓口でなければ、引き出すことすらできなかった。

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コロナ禍で、パートナーの大切さを再認識