身長180センチの長身痩躯で、右投げサイドスローの抑え投手だった高津と、身長167センチと野球選手としては極めて小柄で、左投げスリークオーターの先発投手の石川。一見するとまったく異なる2人だが、どちらもストレートで押すわけではなく、投球術で勝負するタイプ。共に最大の武器は伝家の宝刀と言うべき「シンカー」である。

 高津がプロ2年目のオフ、当時の野村克也監督に「西武の潮崎哲也(現編成グループディレクター)のようなシンカーを覚えなさい」と言われ、これを身に着けたことで絶対的な守護神にのし上がっていったのは有名な話だが、石川が青学大時代にコーチの教えで習得した時速100キロ前後の「遅いシンカー」も、お手本にしたのは潮崎だった。プロ入り後に120キロ前後の「速いシンカー」も投げるようになり、現在は2種類のシンカーを投げ分けているが、石川の代名詞といえば、しばしばチェンジアップとも呼ばれる「遅いシンカー」の方だろう。

 偶然にも投手として同じルーツの決め球を持つ2人は、一度はヤクルトとたもとを分かった高津が投手コーチとして復帰した14年から、今度は「コーチとエース」という立場で“共闘”。この年、高津コーチの下で3年ぶりの2ケタ勝利を記録した石川は、翌15年は自己最多タイの13勝でリーグ優勝に貢献。神宮のファンの前で行われた祝勝会で、高津は指導者として初、石川はプロに入って初めての美酒に酔い、心から「良い思い」に浸った。

 高津はその後、2017年に2軍監督に転身し、今シーズンから1軍監督に昇格。「監督とエース」として再びタッグを組むことになった左腕に、自身の初陣を託すことを決めた。そこには長きにわたって石川と苦楽を共にしてきた高津ならではの思いがある。

「(石川は)ここまで毎日のように上手くなりたいと思ってプレーを続けて来た選手であるのは間違いないですね。(自分が)一番長く見てる選手ですし、若い頃と変わらず40歳になっても努力し続ける姿っていうのは、(プロに)入ってきた22歳の時と比べて何も変わっていません。すごく難しいことを、常に継続して努力している選手だと思います」

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「チームが勝てる“駒”になりたいので」