猪木戦に比べ、ファンの間では賛否両論もあるこの試合を成り立たせたのは、シンの存在感と言っても良いだろう。新宿・伊勢丹前での猪木襲撃事件(1973年11月5日)など、来日時に常に見せてくれた狂気は年齢を重ねても変わらない。度重なる焦らし行為をおこない、祈りを捧げ、テントに火を放ちその中から登場するなど、存在感は際立っていた。

 試合は馳が得意の『裏投げ』でシンを完全KOで下した。

 2試合とも各自の思いが交錯、手札を駆使した究極の『果し合い』だった。かつて宮本武蔵が使ったと言われる『焦らし戦法』も見られ、なりふり構わない姿勢が目立ったのも印象に残る。

「巌流島の上空をヘリコプターが4機も旋回し、俺の離婚騒動に負けない大きな話題となった」(アントニオ猪木談)

 新日本は興行収入など度外視で『巌流島』での決着戦を選択した。当時、経営的に厳しかったと言われる団体にとっての大きな決断。結果的に新日本に再び推進力を与えた『巌流島決戦』と言っても過言ではないだろう。

 巌流島では2012年5月5日、初代タイガーマスク・佐山サトルのレジェンド・ザ・プロレスリングも興行をおこなった。

 メインは、初代タイガーvsウルティモ・ドラゴン戦。伝説の虎と米国やメキシコでも暴れ回った究極龍。レジェンド対決はタイガースープレックスホールドで初代タイガーが勝利を収めた。

 この興行は、「武蔵と小次郎の決闘から400年」を記念しておこなわれたもの。2003年にNHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』が放送され、巌流島は一躍、脚光を浴びた。公園として整備され、武蔵と小次郎の銅像が立つなど観光地として賑わうようになった。その一環としてチャリティと地域活性化の意味も含め、開催された興行でもあった。

 山口県出身の長州力や大谷晋二郎、知名度抜群の藤波辰巳、藤原喜明なども参加。観客には家族連れが目立つなど、約3000人が集まり新日本の2試合とは意味合いが異なったものとなった。

 しかしながら観光地化されたが、現在も禁煙の巌流島である。タイマツを焚き、挙句はテントを燃やすなどなど、考えられないこと。それを実現した新日本ならびに猪木の影響力を改めて感じさせてくれる。

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異彩を放つ『奉納プロレス』