巌流島での戦いでも有名なアントニオ猪木 (c)朝日新聞社
巌流島での戦いでも有名なアントニオ猪木 (c)朝日新聞社

「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」

 アントニオ猪木が語ったように、やる気があれば、いつどこでも戦えるのがプロレス。長い歴史の中では、通常の体育館や駐車場とは異なる驚くような場所にもリングが設置され、戦いが繰り広げられてきた。

 歴史上に残る名所でおこなわれた試合も多い。プロレスの存在が日本国民にとって「認知」されているからに他ならないだろう。

 真っ先に思いつくのは、新日本の『巌流島』。

『巌流島』は山口県下関市にある関門海峡にある無人島。かつて宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした場所として有名だ。

 1987年10月4日の猪木vsマサ斎藤戦。1991年12月18日の馳浩vsタイガー・ジェット・シン戦の2試合がおこなわれている。

 どちらも大きな注目を浴びたが、無観客、時間無制限、ノールールでおこなわれた。そこには戦う者同士だけでなく、団体にとっても大きな意味が込められていた。

 猪木vsマサ戦は2時間5分14秒の末、猪木がTKO勝ちを収めた。

 猪木は自らの事業失敗、新日本の業績不振などが重なった時期。決闘の2日前には倍賞美津子との離婚届を提出してまで挑んだ大一番だった。マサも幾度となく対戦しながら消化不良に終わっていた猪木との対戦に対し、「死ぬまでやろう」と再戦を熱望していた。そして必然のように決まった巌流島での対戦には、山本小鉄と坂口征二が立ち会った。

 猪木は試合開始の合図から30分近くも姿を現さず、精神的揺さぶりをかけた。マサは照明代わりに使用されたかがり火のマキで殴りつけた。時間だけが過ぎゆく中での死闘の決着は『魔性』と呼ばれるスリーパーホールド(=チョーク気味の裸締め)。『キラー猪木』の真骨頂が垣間見えた。

 馳vsシン戦は1時間11分24秒で馳がKO勝利を飾る。

「現役バリバリの俺と戦って欲しい」

 馳にとっては世代交代を進めるためにも、猪木は超えなくてはならない存在。翌年1月4日東京ドーム大会で猪木vsシン戦が決定直前、それに異を唱える形で名乗り出た。前回の巌流島決戦の主役だったマサ斎藤立ち合いのもと、猪木との対戦権をかけてシンと戦った。

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猪木にとって大きな決断だった“巌流島決戦”