ピッチ上で時に感情をあらわにすることもあった鹿島の小笠原満男 (c)朝日新聞社
ピッチ上で時に感情をあらわにすることもあった鹿島の小笠原満男 (c)朝日新聞社

 今年で発足27年目となるJリーグ。その発展に大きく貢献してきたのが、多士済々の外国人選手たちであることは間違いない。だが、「育ってきた環境が違う」ためか、過去には試合中にも関わらず、味方でチームメイトの日本人選手と揉めて“喧嘩”が勃発した事例がある。

 最も騒がれ、問題となったのは、2002年のウィルだろう。1998年に来日して大分トリニータでのJ2時代2年間で通算59試合40得点と実績を残し、2001年にはJ1・コンサドーレ札幌で26試合24得点を挙げて得点王に輝いたブラジル人ストライカー。決して大柄ではなく、爆発的なスピードがあった訳ではないが、体の強さとゴール前での落ち着き、多彩かつ正確な左足のシュートでゴールを量産し、2002年に横浜F・マリノスに期限付きで移籍した。

 そこでもエースとして能力の高さを見せつけたが、試合中のラフプレーが目立ち、ラザロニ監督(同年途中解任)やサポーターと対立するなどトラブルが多発。そして迎えた10月26日の磐田戦、後半42分に相手への危険なスライディングでこの日2枚目のイエローカードを受けて退場になると、ウィルは審判には目もくれずにチームメイトである奥大介へ突き進んで強烈な左足ローキックを繰り出した。「思うようにパスがもらえずにフラストレーションが溜まっていた」とのことだが、許されるべきものではなく、ウィルは6試合の出場停止処分を受けた後、チームから契約解除されることになった。

 ウィルの場合は頭に血が上った末の乱暴行為だったが、正当な理由があっての試合中の“怒り”の場合もある。その顕著な例が、“闘将”ドゥンガである。ブラジル代表の主将として1994年W杯での優勝に大きく貢献した名ボランチ。現役ブラジル代表として1995年にジュビロ磐田に入団すると、類まれなリーダーシップという名の鬼軍曹ぶりでチームを初優勝に導き、その後の黄金期の礎を築いた。

 その過程で試合中に何度も見かけたシーンが、味方選手に対して激昂する姿。若き日の福西崇史や高原直泰に対しても本気で怒り、言葉が通じずとも、身振り手振りを交えながら耳元まで近寄って声を荒げた。「普段は優しいけど、グラウンドの中では本当に怖かった。プロ意識を植え付けられた」と福西。「とにかく勝ちたいんだ」とはドゥンガ。彼の怒りは“叱り”であり、その指導によって磐田は勝てるチームに変わった。

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ピッチ上で感情が“爆発”