■中堅手:アンドリュー・ジョーンズ(楽天)

 次点:アダム・ジョーンズ(オリックス

ブレーブス時代の2005年に本塁打(51)と打点(128)のタイトルを獲得するなど、数々の功績を残したアンドリュー・ジョーンズ。日本時代はあまり目立たなかったが、守備力も素晴らしくゴールドグラブ賞を10年連続で受賞したメジャー屈指の外野手だった。通算17年間の成績は1933安打、434本塁打、1289打点、152盗塁。球宴には5度選出されたスター選手であり、19歳の時にワールドシリーズ(1996年)で放った2本塁打は、今でもアメリカの野球ファンの間で語り草となっている。

苗字が同じでややこしいが、今年オリックスに入団したアダム・ジョーンズもアンドリューと同じオールスターに5度選出された経験を持つ名プレイヤー。通算14年間通算で1939安打、282本塁打、945打点、97盗塁をマークした。ゴールドグラブ賞にも4度選ばれた守備の名手でもある。

■右翼手:レジー・スミス(巨人

 次点:ジェシー・バーフィールド(巨人)

レッドソックス、カージナルス、ドジャースなどメジャーの名門を渡り歩き、通算17年間で2020安打、314本塁打、1092打点、137盗塁をマークしたスミス。打撃主要三部門のタイトル獲得はないが、1977年には出塁率(.427)でリーグトップを記録し、オールスターには7度選出された。数字を見ても明らかだが、アメリカでの実績は十分で同時期に巨人でプレーしていたクロマティもスミスには頭が上がらなかったとのこと。

次点のバーフィールドは、ブルージェイズ時代の1986年に40本塁打を記録してタイトルを獲得した大砲。メジャー12年間で1219安打、241本塁打、716打点をマークし、シルバースラッガー賞に1度、ゴールドグラブ賞に2度、球宴には1度選出されている。

■指名打者:ケビン・ミッチェル(ダイエー)

 次点:ビル・マドロック(ロッテ

“史上最低の助っ人”は誰?という話になると必ず名前の挙がるミッチェルだが、メジャーでの成績はこれまで来日した選手の中でも上位に入る。ジャイアンツ時代の1989年には本塁打(47)、打点(125)でリーグトップとなりナ・リーグのMVPになるなど、当時はメジャーでもトップクラスの選手であった。通算では13年間プレーして1173安打、234本塁打、760打点を記録。外野フライを素手でキャッチした伝説のプレーを披露した選手としても、アメリカでは知られている。

次点のマドロックも首位打者に4度輝いた経験を持つ超大物。メジャーでは15年間のプレーで2008安打、163本塁打、860打点、174盗塁を積み上げ、通算打率も.305と高い。カブス時代の1975年には6打数6安打という“安打製造機”ぶりを発揮したこともある。