額賀辰徳は近年の“飛ばし屋”の代表格 (c)朝日新聞社
額賀辰徳は近年の“飛ばし屋”の代表格 (c)朝日新聞社

 新型コロナウイルスの感染拡大防止による緊急事態宣言も解除され、日本では徐々に日常が戻りつつある。スポーツ界では、プロ野球が6月19日に開幕予定でJリーグも7月4日からJ1を再開することが決定。ゴルフでは女子ツアーが、6月25日からのアースモンダミン・カップを無観客で開催することを決め、3カ月以上遅れでの開幕を迎える。

 一方、男子ツアーはどうか。すでに6月までの大会は全て中止が決まっており、7月8日からのゴルフパートナーPRO-AMトーナメントもツアー競技としての実施はキャンセル。ようやく、この大会をツアー共催のゴルフパートナーエキシビショントーナメントとしてツアー外イベントで行うことが決まった。

 しかし、ツアー競技はこの後もしばらく開催予定がなく、現状では最短でも8月20日からの長嶋茂雄 INVITATIONALセガサミーカップが初戦。なかなかトンネルの出口が見えないでいる。今月に、ようやく女子ツアーで卓越した技術が観られることは嬉しいが、やはり“Drive for show, putt for dough”の言葉の通り、ゴルフの華は飛ばしだ。ゴルフファンは男子プロの迫力ある飛ばしが待ち遠しいことだろう。

 そこで、ここではこれまで国内男子ツアーの飛距離をけん引した日本人選手の系譜を辿ってみたいと思う。どのような歴史を重ねて、現在の飛ばし屋に至ったのかを知れば、開幕を迎えた時にロングヒッターの見方も一味違うかも知れない。

 ご存知の通り、飛距離アップの要因はゴルファーの技術だけでなく、ドライバーの素材やテクノロジーなどの進化と切り離すことはできない。ドライバーの素材は大きく分けてパーシモンからメタル、チタンと変わってきたが、その度に飛距離に革命をもたらしゴルフというゲームが変化を遂げてきた。

 この素材の変化に日本人として最初に順応したのが、当時から飛ばし屋として時代を築いていたジャンボ尾崎こと尾崎将司だ。米ツアーではすでにメタルドライバーが市民権を得ていたが、国内はまだパーシモン使用者ばかりという状況。そんな中、尾崎は1987年ごろからメタルヘッドをいち早く取り入れ、これを契機にブリヂストンスポーツの「J’sメタルシリーズ」が誕生。尾崎は、メタルウッドを手にその地位を確固たるものにしていた。

次のページ
小柄ながらも素晴らしい飛距離を誇ったのは?