もっとも、太宰はその続きを書くどころか、このエッセーが活字になるのを見ることもできなかった。数日後に自殺したからだ。それは愛人との入水心中だったが、自らの毒気にあてられた感もなくもない。悪口の応酬は精神の消耗にもつながるのだ。

 特筆すべきは、その後の志賀の対応である。数カ月後に発表したエッセーに、彼はこう書いた。

「私は前から、無名の葉書や手紙で、悪意を示される場合、ちょっと見れば分るので、直ぐ火中するか、破って棄ててしまう事にしている。批評でも明らかに悪意で書いていると感じた場合、先は読まない事にしている。私にとって無益有害な事だからであるが、太宰君の場合は死んだ人の事だし、読まないのは悪いような気もしたが、やはり、読む気がせず、読まなかった」(「太宰治の死」)

 太宰がある意味、命と引き換えに書いた文章を結局、読まなかったのだ。志賀は相手が自殺したことを知り「イヤな気持」「憂鬱になった」としつつ「仕方のない事」「これを余り大きく感ずる事は自分に危険な事だとも思った」として、距離を置くことを選んだのである。

 おそらく、太宰と関わりすぎたことに気づいたのだろう。そして、ここにこそ、言葉のトラブルを避ける極意がある。要は、見なきゃいいのだ。自分が憂鬱になるような言葉をわざわざ目にする必要はない。志賀が手紙を焼いたり、破り棄てたように、ネットにもミュートやブロックといった方法があり、それらを活用すればいいわけだ。

 もちろん、悪口は気になるものだし、見ないというのも容易なことではない。ただ、やってみる価値はあるはずだ。少なくとも自分の場合、志賀のこの文章と出会って以来、リアルでもネットでも、そういうスタンスを心がけてきた。おかげで、いくらかの安心は得られているように思う。

 作風としては、芥川や太宰のほうに魅力を感じるし、その人間性にもひかれるものはある。が、誹謗中傷対策に関しては志賀のスタンスに尽きるのではないか。そこはやはり、神様の言うとおり、ということで。

宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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宝泉薫

宝泉薫

1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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