とまあ、文豪もののラノベみたいな話になってきたが、この三者の関係はなかなか面白い。言葉のトラブルという問題を考えるうえでも、学べるところが大なのだ。たとえば、芥川と太宰は30代で自殺したが、志賀は88年の天寿を全うした。じつはこの三者の関係から、誹謗中傷に負けない、ましてやそのせいで死なないための方法も見えてくるのである。

 まず、芥川について、その自殺には誹謗中傷が関係していた。死の2年前『近代日本文藝読本』の編集を手がけたところ「芥川は、あの読本で儲けて書斎を建てた。われわれ貧乏な作家の作品を集めて、一人で儲けるとはけしからん」とたたかれたのだ。さらに、出版社のミスで著者から無断使用を抗議されたり。じつのところ、こういう仕事は労のわりに報われないもので、彼自身にもうけはほとんどなく、ただ疲弊しただけだった。(『自殺作家文壇史』植田康夫 より)

 それでなくとも、彼は秀才にありがちな、物事が計画通りに進まないと許せない性格だ。それゆえ、こんな名言も残している。

「人生は地獄よりも地獄的である。(略)こう云う無法則の世界に順応するのは何びとにも容易に出来るものではない」(「侏儒の言葉」)

 彼にいわせれば、食事ひとつにしても、うまく食えるときもあれば、腹を壊すこともあり、その無法則性がいやだ、というわけだ。

 しかも、周囲の評判を気にしすぎる性格でもあった。こういう人が現代に生きていたら、ついエゴサーチをしてしまい、その結果に一喜一憂するに違いない。いや、悪口のほうが心に残りやすいから「一喜多憂」になるのがオチだ。

 また、彼はすでにある物語や史実を換骨奪胎して小説化することが得意だったが、当時の文壇では異端視された。個人の生々しい告白による私小説的なものが優勢だったため、作家で詩人の佐藤春夫から「その窮屈なチョッキを脱いだらよかろう」(「沓掛にて――芥川君のこと――」志賀直哉 より)などとからかわれてしまう。

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志賀をイラつかせた続けた太宰