「コロナ禍」で問われるメディアの立ち位置…日本人が過去の戦争から学ぶべき「言論の自由」の本当の意味 (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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「コロナ禍」で問われるメディアの立ち位置…日本人が過去の戦争から学ぶべき「言論の自由」の本当の意味

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日中戦争、徐州戦線での火野葦平(左)。この年芥川賞を受賞し、陸軍報道部員となる。右は報道部の馬淵逸雄中佐 (c)朝日新聞社

日中戦争、徐州戦線での火野葦平(左)。この年芥川賞を受賞し、陸軍報道部員となる。右は報道部の馬淵逸雄中佐 (c)朝日新聞社

1938年3月号の雑誌「中央公論」のコピー。検閲を受けた石川達三の「生きてゐる兵隊」は伏せ字で埋まっている (c)朝日新聞社

1938年3月号の雑誌「中央公論」のコピー。検閲を受けた石川達三の「生きてゐる兵隊」は伏せ字で埋まっている (c)朝日新聞社

「小説家・高見順の『敗戦日記』を読んでいると、『政府は本当のことを言わない』という記述が何度も出てきます。この高見の言葉は現在にもあてはまるのではないでしょうか。とにかく政府が、社会の人々を信用しない。自分たちの組織と体面を守ろうと、情報をコントロールするから、いま何が起きているのか、『本当のこと』がよくわからない。一方で、人々も従順なようでいて、心の底では政府を信用していないので、自分たちだけが損をしているのではないか、見捨てられてしまうのではないかという不安につき動かされて、頼まれてもいない相互監視を始めてしまう――。まるで、『先の大戦』の風景が反復されていると思わざるを得ません」

 五味渕さんは、政府が敗戦直後にきちんと歴史に向き合わなかったことも大きく影響していると考えている。

「そもそも正しい情報やデータ、記録がなければ、政府の判断を検証することはできません。検証ができなければ、きちんと責任を問うこともできない。1945年の敗戦時に日本政府がたくさんの資料を焼却した結果、記録にもとづく戦争責任を問うこと自体が難しくなってしまったことはよく知られています。この国では、その経験が『習い性』になってしまったのではないか。結局のところ、敗戦のときにきちんと歴史の総括を行わなかったことが、まわりまわって現在の状況を作ってしまった、そんな気さえします」

■あらためて守るべきものは

 一方で、人々の言葉は、疑問に感じたものにも向けられているのも事実だ。未曾有の危機に直面して、あぶり出された歪みに対して、SNSを通じて、多くの意見が発せられている。そして、人々の小さな言葉が時として大きなうねりを引き起こしている。

 著名人・芸能人たちが声をあげるケースも増えた。俳優の古舘寛治さんも、日々、心の中のつぶやきをSNSにあげている。古舘さんは、ETV特集「戦場で書く」で火野葦平本人の役として、火野の著作を朗読してくれた人だ。


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