■「強制された状況」に適応した男性は……

 つまり菜美恵さんは、嫌いと<言われたら>立ち直れない、という妄想にとりつかれてしまっているので、嫌いと<言わせない>、別の言い方をすれば幹人さんの自由を奪うことに全精力をつぎ込んでしまっているのです。本当に大事なのは、嫌いと言うか言わないかという「行動」ではなくて、好きかどうかという「気持ち」のはずです。菜美恵さんに限りませんが、気持ちは見えにくいので、不安が高まると人は目に見える行動にすがってしまいやすいのです。

 GPSや誓約書で夫の行動をけん制しようとするのも同じ流れで理解することができます。泣き声でおっしゃるぐらいですから、菜美恵さんにとっては追い詰められた、やむにやまれない対応なのですが、第三者として冷静に考えると、これは混乱した状況です。けん制や強制で自由を奪って浮気をさせないようにしても、家事を手伝わせても、「好き」の証拠にならないことはやっている本人が一番わかっていることです。それでも、強制しなければ立ち直れないことが起こってしまうのではないかと恐れているので、その構図から抜け出せないわけです。

 残念ながら、3カ月強制すれば、強制された状態に適応して、強制しなくても菜美恵さんに愛情のある対応をするようになるということは考えにくいのです。ましてや、好きになるはずもありません。

 こういうとき、テレワークがテレハラを生み出したように、話が当事者の予想外のほうに転がってしまうことが少なくありません。「強制された状況」に適応した幹人さんは、菜美恵さんと本音で話すことはなくなり、その場しのぎの言葉で言い逃れをするようになりました。それがまた菜美恵さんの怒りに油をそそぐという構図です。

 実は、菜美恵さんご夫婦がおいでになった理由は、幹人さんが離婚したい、と言い出したことです。菜美恵さんは当然、幹人さんの「決意」を非難します。幹人さんが悪いのに離婚だなんて身勝手すぎるとか、私にも落ち度があるなら直すとか、親に言えないとか、結婚で名前を変えたのが私なのになぜまた離婚で私だけがさらし者にならないといけないのかとか、次々主張が出てきます。


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「わたしのこと好きな気持ちありますか?」