斎藤の翌年に登場した野村祐輔(広陵)も甲子園をきっかけに大きく成長した投手の一人だ。下級生の頃からセンスのある投手だったが、一学年上の吉川光夫(現日本ハム)、一学年下の中田廉(現広島)と比べるとスケールが乏しく、将来的にプロはどうかという投手だった。初戦の駒大苫小牧戦でも毎回のように走者を出す苦しいピッチングで、完全に味方の援護に助けられる展開で何とか勝利を収めている。

 しかし2回戦から上手く力が抜けてストレートも走るようになり、抜群の安定感を見せる。決勝戦でも7回までは被安打1と非の打ち所がない内容だった。そして更に野村を大きくしたのは8回に許した大逆転の経験だろう。この悔しさをバネに明治大で大きく成長。東京六大学野球史上7人目となる通算30勝&300奪三振を達成し、ドラフト1位でプロへ進んだ。甲子園で自信と悔しさの両方を味わったことが野村にとってはその後の大きな糧となったことは間違いない。

 大阪桐蔭の黄金時代がスタートした2008年夏の甲子園で急成長を見せたのは浅村栄斗だ。高校入学当時からセンスは高く評価されていたもののもうひとつ伸び悩み、夏の甲子園開幕時点ではそこまで高い注目を集めてはいなかった。ところが初戦の日田林工戦で5安打をマークして勢いに乗ると、2回戦の金沢戦では1点を追う8回にこの日2本目となる起死回生の同点ホームランを放ってチームを救ったのだ。このホームランがなければ、間違いなく大阪桐蔭はここで敗退していただろう。3回戦以降も浅村の勢いは衰えることなく、攻守にわたる大活躍で優勝の原動力となった。この大会の大活躍がなければ高校から直接プロ入りしていたかはかなり微妙な状況だった。

 ここまでの4人は一つの大会で急成長を見せた選手だが、出場を重ねるごとに凄みが増していった選手もいる。近年の選手でその代表格と言えるのが田村龍弘(光星学院)だ。2年時から中軸を任せられていたが、パンチ力はあったものの上背がなかったということもあって、準優勝した2011年夏もそれほど強いインパクトを残すことはできなかった。

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大阪桐蔭の西谷監督も認める“甲子園の力”