続く2004年のアテネ五輪では、一人の選手の名前が浮かぶ。「谷間の世代」と言われながらも大久保嘉人をエースに予選を力強く勝ち抜いたチームだが、その時の最終予選でキャプテンを務めていた鈴木啓太だ。最終予選アウェーでのUAE戦の前には、多くの選手が原因不明の食中毒に襲われるトラブルもあったが、その中でチームを鼓舞し続けたのが鈴木だった。だが、オーバーエイジ枠で“替えのきかない選手”である小野伸二の選出などもあり本大会のメンバーからは落選。本戦で日本代表はグループリーグ敗退となったが、鈴木がチームの精神的支柱として活躍する姿を見たかったファンは多いだろう。

 本大会出場もグループリーグ3連敗で終わった2008年の北京五輪では、チーム発足時からエースとして期待されてきた男、平山相太の名前がメンバーリストになかった。190センチの長身を生かしたダイナミックなプレーで、国見高校時代には選手権で史上初の2年連続得点王となって“怪物”と呼ばれた大型FW。4年前のアテネ五輪に19歳で出場し2005年にはオランダでプレーして結果も残したが、そこから伸び悩み、北京五輪のアジア2次予選では5試合で5得点を奪ったが、最終予選では6試合中2試合出場のみと出番減。チームの中での存在感も希薄になり、本田圭佑、岡崎慎司らが台頭した中、エースに君臨するはずだった男が北京の土を踏むことはなかった。

 それから4年、4位という史上2番目の好成績を収めた2012年のロンドン五輪では、吉田麻也を中心とした堅守&ハイプレッシャーからのカウンターサッカーで強豪を撃破した。攻撃陣には、大津祐樹、永井謙佑、清武弘嗣、東慶悟らがいたが、その後のA代表で活躍することになる大迫勇也と原口元気はメンバー落ちとなった。彼らはアジア予選の段階ではチームの常連だったが、最終的には関塚隆監督の目指した戦術との兼ね合いもあって構想外となり、五輪とは縁がなかった。

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リオ五輪でも本戦で悔しい思いをした男