準急「由布」を引き継いだ特急「ゆふいんの森」(C)朝日新聞社
準急「由布」を引き継いだ特急「ゆふいんの森」(C)朝日新聞社
1893年に発行された時刻表。古い時刻表を改めて読むと新たな発見がありおもしろい(C)朝日新聞社
1893年に発行された時刻表。古い時刻表を改めて読むと新たな発見がありおもしろい(C)朝日新聞社
1972年に撮影された国鉄名寄本線(C)朝日新聞社
1972年に撮影された国鉄名寄本線(C)朝日新聞社

 列車に乗るときはできるだけ最短距離で選びたいというのが、ごく普通の人情というものだろう。でも、鉄道の旅であえて回り道を選ぶのも楽しいものだ。そんな楽しみを乗り換えなしに味わえる、つまり、回り道をして最短距離でたどり着かない”遠回りする列車”がかつて各地を走っていた。

【図表】最短距離を走らない遠回り列車の一覧はこちら

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■通常経路の6倍超え! 気宇壮大な遠回り列車

 たとえば、博多から小倉まで列車で行くとする。時間が惜しい人であれば山陽新幹線で20分もかからずに移動することができるし、おカネを節約したければ鹿児島本線の快速が1時間20分前後で両駅間を結んでいる。ほかに在来線特急もあるが、いずれにしてもあえて遠回りを選ばない限り、自然と最短距離で移動することになるハズだ。

 ところが、クイズの「ひっかけ問題」のような列車がかつてこの区間に走っていたのをご存知だろうか。準急「由布」は博多と小倉とを結んでいた列車で、現代ならば「短距離特急」の仲間として数えられそうな気がする。しかし、1965年4月ダイヤを見ると、博多発は8時27分、終点の小倉到着は15時22分。両駅間の距離は67.2キロメートルである。いかにふた昔前の列車とはいえ、表定速度・時速9.7キロという恐るべき鈍足ぶりなのであった。

 タネを明かせば、博多を小倉と逆方向に出発して鹿児島本線を南下、久留米から久大本線に入り大分へ、ここからは日豊本線を素直に北上して小倉に着くという不思議な遠回り列車だったのである。このため博多~小倉間の走行距離は310.1キロ。“遠回り計数”(筆者の造語)4.61というとんでもない列車だったワケだ。(※計数は表に記載)

 この「由布」が誕生したのは1961年10月で、当初は小倉ではなく門司港までを結んでいた。1966年に急行化ののち、1968年10月に博多~別府間に改められたが、現在は特急「ゆふ」と「ゆふいんの森」へと引き継がれている。

 九州では、宮崎と西鹿児島(現・鹿児島中央)とを結んでいた急行「フェニックス」も第一級の遠回り列車であった。1961年に博多~西鹿児島間の急行としてデビューしたのち、翌年に宮崎~西鹿児島間列車となったもので、1972年3月ダイヤでは、宮崎発7時55分~西鹿児島着20時19分と西鹿児島発9時26分~宮崎着21時55分着と、およそ12時間30分に及ぶ長距離列車であった。“遠回り計数”は6.38で、今回の調査で浮かび上がった列車のなかでダントツのトップとなった。
 

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あえて脇道を選んだような列車はまだあった