このうち、門司港~長崎の当時の所要時間は特急乗り継ぎで3時間50分前後、博多~長崎だと2時間35分ほどの距離にすぎない。ガラガラの寝台車を連結していたとは思えず、この距離でも需要があったと考えるのが妥当だろう。下りの場合、この列車を使わない場合の長崎到着は10時30分(「ながさき」は門司港発22時39分~長崎着6時39分)になってしまうことから、この点ではダイヤ面での利便性があったのかもしれない。

■急行との競合もあったが、普通列車ならではのダイヤが武器に

 京都~出雲市の「山陰」のダイヤは京都発22時02分~出雲市着9時50分だが、米子着は7時34分と出張でも利用しやすい時間帯となっている。上りでは出雲市発19時09分~京都着5時25分と早朝着ではあるものの、昼行列車では京都着12時22分(特急「あさしお1号」)となってしまうため、夜行としての価値はありそうだ。なお、急行「だいせん2号」(大阪~大社間)にも寝台車があり競合している。ちなみにB寝台券はともに2000円、急行券は201キロ以上が500円である。

 名古屋~天王寺の「南紀」は1968年から94年にかけて新宮~天王寺で寝台車を連結していたが、82年に亀山発着に短縮、84年には新宮~天王寺の運転となった(愛称はのちに「はやたま」に変更)。この時代、昼行利用では天王寺着が11時26分(「南紀」は5時00分)、新宮着は13時13分(同5時10分)で、夜行を設定する必要があったに違いない。

 小樽~釧路の「からまつ」は、もし現代に走っているとすれば、自然と選ぶ旅人も少なくないような気がする。上りでは札幌着が5時36分と早朝に偏るほか、根室からの乗り継ぎも釧路で2時間弱のインターバルがあるなど、やや使いづらい感があるが、下りの利便性は抜群であった(※表2参照)。

 夜行急行「狩勝4号」と競合しているものの、「からまつ」も十分に対抗できるダイヤになっている。釧路乗り継ぎでの根室着は12時55分と、「狩勝4号」の8時52分着との差が悩ましいところだが、「からまつ」の乗車率は十分に健闘していたようだ。

 レイルウェイ・ライターの故・種村直樹氏は「まじめな列車」と「からまつ」を例えたが(「旅と鉄道No.35/80年春の号」鉄道ジャーナル社)、実用にも便利で地に足の着いた“夜汽車”だったようである。地味な存在ながら、夜を舞台に旅人を運んできた夜行鈍行列車。ちょっとノスタルジーを覚えつつ足取りをつづってみたが、かつてはそんな列車に旅を実感したのも確か。わずかでも復活してくれたら……と思わないでもない。(文・植村誠)

植村誠(うえむら・まこと)/国内外を問わず、鉄道をはじめのりものを楽しむ旅をテーマに取材・執筆中。近年は東南アジアを重点的に散策している。主な著書に『ワンテーマ指さし会話韓国×鉄道』(情報センター出版局)、『ボートで東京湾を遊びつくす!』(情報センター出版局・共著)、『絶対この季節に乗りたい鉄道の旅』(東京書籍・共著)など。